知らないうちに習性は滲み出るんちゃう?
自分が飽き性なのか、何かしらの定めなのか、本当にいろんな職場を見ることになってしまった。また新たな旅に出ようとしている。
そんなこともあって毎年300人以上は新たな人に平均すると会う機会があって、ちょっとばかり分かることがあったとすれば、関係性理論ってあるんやな。ということだった。
そうその人が経験した以上のものが出ないということだ。もちろんいろんな本が出ていることで、経験値は補完出来るとはいえ、それは本当の意味で補完にはならないということ。身を持って経験することと、本を読んで経験した気になることは違う。本は体感することは出来ない。追体験の上辺だけ感がある。だからそれで学んだ気になったとしても、意外と使えないケースが多い気がしていて。それっぽいことをやっても意味がないというか、そのミーハーごころをどこか上手くアレンジメントする力は、自分が経験したものからしか導き出せない気がする。
あとこれはもっとすごく感じるし、自分もやっているんだろうなと思うことだけど、思った以上に日頃クセになっている振る舞いは、出ていないつもりでもどこにでも出ていると思う。本人が否定したとしても、その振る舞いは確実にしかも意外と分かる形で出ていると思う。
だってどれだけ念入りに対策をしていても感染るものは感染るなかで、絶対に出ない振る舞いなんて人間あるんだろうかって考えると、絶対無意識のうちに出ているに決まっているほかない。でもそれが一番怖いことなんかも知れない。だって自分が分からないうちに出してしまっているんだから。
そういう意味で常に謙虚な心は持っていないといけなくて、ちょっとでも驕る感じがあれば、もうそれは出ているんだと思うんですよね。それは話していると違和感として現れる。なんかちゃう、え、これってみたいに。
何かいい話なんかなって思っていたのに、何か違うって思ったときに感じる違和感はこんなことだった。みたいな場合が多くて。たぶん人よりは繊細な心を持ってしまっているので、何か上辺の声に敏感で、どうしても空虚な言葉を聞くと黙りこくってしまうことも多くなるというか。
何なんだろうこれは。言っても無駄ってなったときのシャットダウン感はこの頃どんどん高まっていくんですよね。勝手にロックダウンみたいな。心理的ロックダウン。僕のこころもずっと緊急事態宣言みたいな感じ。
たぶんきっとこれは自分の態度で出ているけど、それは仕方ない。自分の緊急事態宣言的な心持ちはゴールデンウィークには解除したい。
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