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「死に方」を探していた私へ(重たい話)

誰かの自殺を知るたび、悲しみと共に、心のどこかが疼く気がする。

それは、私にも必死に「死に方」を探していた時期があったからだ。


高校三年生のときのこと。

私は死に方を調べ、実践した。

ビビリだったので、簡単には成功せず、より確実な方法を探し、行動はどんどんエスカレート。

最後の方は、口にできないほど気の狂ったことばかりして。

最終的に、病院の鍵つきの病室に入れられるという、人生でそうない経験をした。

結局、私は今日まで生き延びている。

あの一件を知っているひとは、受験のストレスからやったことだと思っているみたい。

表面的に見ると、確かにそう見えたと思う。

でも、多分そんなことじゃなかった気がする。


おそらく、私を強く死へと引き寄せていたのは、「何かが辛い」という気持ちではなく、"強い強い強迫観念"だった。

「私は生きていちゃいけない存在だ」

「生きているだけで、ひとに迷惑をかける」

「生きているだけで、誰かを苦しめる」

そんなことばかりで頭の中がいっぱいになり、「もう、死ぬしかない」という恐怖に襲われていった。


それ以外の道はもうないのだと信じて。

ひとはきっと、そんなに強くない。

見えないヒビでも、入り続けたら、いつか粉々になってしまう。

そうなると、もとに戻るのは、きっと簡単なことではない。

選ぶ道が、どんどん狭くなり、残された手段がひとつしかない、と思えてしまうのだと思う。


そして、そこから、実際に死ぬのは簡単じゃない。

だからこそ、死へと掻き立てるエネルギーがどんどんパワーを増していく気がする。

それは、きっと周りのひとが、理由を探せるようなものではない、と私は思ってしまう。

***

あの頃の私へ。追い込まれていた私へ。

「あなたは悪くない」と言ってあげたかった。

「死ぬしかない」なんて、そんな選択肢しか残されてないなんて、絶対にないよ。

本当に苦しかったけど、そのエネルギーを生きるために向けたら、少しずつだけど変わることが出来たから。

絶対に、世界のどここに、あなたが生きていける、頑張れる場所はある。

死ぬことの方がよっぽど、誰かを悲しませるし、苦しめる、だから死ななくていいんだよ。生きてていいの。生きててほしいの。


と。

とは言え、追い込まれていた私には、そんな言葉さえ響かなかっただろうけれど。



今の私も生まれてきて良かったのか、まだわからない。

だけど、死なないでくれてありがとう。

たくさんの幸せに出会えたよ。


そして、こんな状態だった私を救うために、力を尽くしてくれたひとたちへ。本当にごめんなさい、そして、ありがとう。恩返しできるように頑張ります。

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