出来ないことのその先に
「お前の兄ちゃん頭おかしいよな?」
小学3年くらいのとき、兄の学年の人に突然囲まれて、問い詰められたことがある。
私は、どう答えていいかわからず、下を向いてしまった。
縦割り活動では、「◯◯(兄の名前)の妹はやめとこうぜ~」と仲間にいれてもらえなかったこともあったし、
帰り道、笑いながら石を投げられたこともあった。
とにかく、私の兄は同級生から疎まれ、その矛先は私にも向かっていた。
同じ小学校にいるのが、正直辛くて、正直恥ずかしくて、正直、、、本当にやるせなかった。そして、心の奥底では、なんで私がこんな目に?と思っていた。
そう思ってしまうのは、多分、私も、兄は何もできないと思っていたから。
障害者手帳の二級を持っている兄は、未だに自分で起きられないし、時間の管理なんてもっての他。
家の中をせわしなく歩き回るし、他害がひどくて、すぐ殴ってくる。
コミュニケーションを取ろうとすると、こっちが疲弊してしまう。
自分で出来ることが限りなく少ないくせに、ひとに危害を加えることは少なくない。
そんな兄のことを、私も心の中で疎ましく思っていたし、兄の学年の人たちの気持ちも、本当はわかる気がしていたのだ。
*
そんな兄を見る目が変わったのは、今年の母の日のこと。
久々に実家に帰ると、かわいいお花の鉢植えがあった。
思わず見ていると、
「◯◯(兄)が、職場で買ってきてくれたのよ~!」と満面の笑みで、母が教えてくれた。
その笑顔がまぶしくて、まっすぐで、温かくて。
兄が自分の意思で、自分の稼いだお金で、母にあげた初めてのプレゼント。
兄の働いてる農園で売ってた100円くらいの小さな鉢植え。
値段なんかじゃない。
ずっと兄のことで悩まされていた母には、本当に本当に、嬉しいプレゼントだったんだと思う。
難しいことはなんにも出来ないと思っていた兄に、母のことをほんの少し、笑顔にできる力があるのだと思い知らされた。
*
兄のことを、何もできないと言うのは簡単だ。ずっと私もしてきたこと。
でも、できないからこそ、できたとき、温かい気持ちを分けあえる。
それを大切にすることも、ひとつの幸せだ、と教えてもらった。
私は、恐らく兄よりはできることがたくさんある。
でも、母が心から笑ったのは、私が毎年一生懸命選んでいた母の日のプレゼントではなく、兄からの些細なプレゼントだった。
複雑な気持ちがないといったら嘘になる。
でも、私は私なりの方法で、頑張ればいい。
兄も、兄なりの方法で、母を笑顔にしたのだから。
この鉢植えがずっと枯れませんように。元気でいてくれますように。母の笑顔が続きますように。
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