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B面透明カセットテープに録音2021/12/28

大手町から銀座の数奇屋橋まで道を確かめながら歩く。

木々に覆われたブルーカラーと白色の電飾が目を惹きつける。
か細い木々がようやく半年振りに会えた空に手を差し出しているように思える。その細い身体に巻き付いている電飾は大袈裟なドレスにも見える。

鏡のような巨大ビル群と木々の華やかさに惑わされながら、ようやく辿り着いた古い映画館の静けさに自分はほーっと落ち着きを取り戻した。

さっきまで居た取り込まれそうな豪華絢爛の場所と、悲しい顔をした美しい外国の少年を映したスクリーンの間には、少々の湿気が入り混じる上品で厳かな空間世界が漂っていた。
それは、寂しさとか孤独といった類のものを抱えているが、尊大さという姿に変えて徹底的な存在を打ち出していた。

春先に電飾を剥がされた木々は、別にハッタリなどは本来なら要らなかったと言うだろう。
只、我々人間の心を別のどこかへ惹きつけるための分かりやすい派手な手段に巻かれているだけなのだ。

惑わされて、忘れてしまいたい事もあるだろう。できれば、忘却の彼方に葬っても良い事の方が多いような気もする。いや、もうそんなものすらも無かった事にしているのかも知れない。だから大袈裟な光るドレスを巻く必要があるのだ。

願えるならば、早々に木蓮の花が開き、哀しい歌で囚われている問題を幻想にすり替えて貰いたい。梅でも桜でも良いから乱れ咲いたきっかけで、不要な思想や会話を嵐と雨とで流し去ってしまえば良い。

ありえもしない、遠い数ヶ月後の姿を想像しながらイルミネーションと呼ぶ人々の笑う瞳を掻き分け、反対方向に歩く。ひたすら、騒騒しさの中を足速に。元の場所へ戻るために。
幻想は幻想だから良いのだと何度も再確認をしながら。

2021年12月28日
銀座

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