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短歌・随筆「朝マック」

朝焼けに向かって走るこの果てにマクドナルドがあるのだという
ソーセージエッグマフィンのソーセージぶっといそれを切ってたら良いな
牛乳がやたらと美味い 保存も効くしまじでおすすめ
謎めいたお婆さんとか居るけれど胃もたれとかはしないのかなあ
朝であることの証明 あなたには笑って送り出してほしいの
シメとして食べる朝マックの美味さ いってらっしゃい僕はおやすみ

朝の一点を切り取って、それを朝だと証明する方法は何だと思う。夕焼けと朝焼けは、全く同じ原理で起こるらしい。目の前のこれは夕焼けだろうか、朝焼けだろうか。そんなこと分かるはずもなくて。時間の経過によって、はじめて相対的にそれが決まるんだって。友達から聴いたよ。5分後、この空はどう変わっているんだろう。

証明する方法の話。それは簡単な話で、マックをみるんだよ。朝マック。マックがマフィンを提供していたら、パンケーキを提供していたら、それが朝。

朝マックはいいよ。早起きは三文の徳なんていうけど、その1文は絶対に朝マックのことだと思う。何であんなに美味しいんだろうなあ。きっと、それも相対的な話なんだろう。それぞれの朝、いろんな想いで人はマックに集まる。分かりはしないし、分かろうともしない。でも確かに集って、散っていくそれは、何となく素敵なことのように思う。

僕はソーセージエッグマフィンが大好きでね。異論はいくらでも唱えてもらっていいけれど、僕の知ったことではない。あのパティみたいなソーセージにかぶりつく時、僕は「こんなでっかいソーセージがあればいいのにな」と思う。いや、現に目の前にあるじゃないか。朝マックには幸せがある。牛乳も美味しいんだ。でもこれは相対的なもんじゃないよ。唯一絶対的なもの。まあ、美味しいっていう主観自体が相対的なものではあるけども。

朝のマックには本当にいろんな人が集っていて、そのどれも自分とは関係のない人生だけど、それはすごく近く感じる。電車のシートに座る時、駅のトイレに座る時、朝マックを食べる時、他人の人生に挟まれる人生。オセロみたいに自分も裏返って、すっかり老婆になってしまいそう。僕は目がいいことと胃が強いことくらいしか誇れることはないけど、あなたはどうなんだい。

朝であることの証明。馬鹿げた話だったね。でも間違っちゃいないでしょう。朝だから朝マックがある。でも同時に、朝マックがあるから朝でもある。気にしないで。詭弁は趣味なんだ。

うだうだと喋ってきたけどさ、とにかく朝マックが好きなんだ。なんだか特別な感じがするでしょう。朝でも夜でもあるこの時間に、ソーセージエッグマフィンにがぶっとかぶりつく。誰も僕のことを気にかけてもいなくって、でもそれこそが僕がここに居ていい証でもあって。僕たちは、誰のことも許さなくてもいいし、誰のことを許してもいいんだよ。

ああ、もうこんな時間。僕もまた時間の流れに持って行かれてしまったみたいだ。どんどんと朝になっていく空と、どんどんと意識の朦朧としていく自分の、間にあるものは確かに朝マック。きっとその、架け橋のようなところに惹かれているのかもしれないね。僕は今日を終えるよ。だからあなたには送り出して欲しいんだ。僕が今日今まで生きていたことだって、あなたは見ていてくれた。忘れてしまうだろうけどね。それでもよかった。

じゃあ、おやすみ。

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