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-海辺のかに4-海を見る


初めて会った時のことを、いまでも鮮明に覚えているよ。  

全体的にふっくらとした体格のその子は、柔らかな瞳の奥でまっすぐに僕を見つめていた。    

日焼けのしたことのない様な真っ白な肌が白い砂浜によく似合っていた。    

いや、似合っていたという表現が適切なのかもわからない。    

こんなことを彼女が聞いたら、砂浜に似合っているなんてと嬉しくないと不貞腐れてしまうかもしれない。    

とにかく、彼女は靄のように包まれた白い砂浜の空間に溶け込むようにして、いつのまにか僕の隣に腰を下ろして座っていた。  

はじめて会ったのに、なぜか懐かしい同級生に会った時のような感覚だったんだ。  

黙って隣に座る彼女に言葉はいらないと言われているような気がしたから、僕もただじっと海を眺めた。  

ひとりで眺める海よりもずっと静寂が近く感じて、彼女のいる方の頬がむずがゆかったのをよく覚えている。  

ようやくやんわりと紡いだ言葉はなんだったっけ。  

たぶん、僕の癖についてのことだったと思う。    

僕は、海のずっと向こうに流れていく景色を見ることができた。  

予知能力とでもいうやつなのだろうか?  

いや、違うか。    

少なくとも、僕は遠くの世界についてある程度見ることができた。  

遠くに目を凝らすと、瞳に薄い膜が張ったかのようにぼんやりと曖昧な対象が浮かび上がる。  

そうして徐々に輪郭を帯びていく。  

こんなふうにして出来上がった人物は果たして脳の起こしている錯覚なのか、妄想なのか、想像なのか。  

僕にはよくわからないな。  

でも、他人の生きている瞬間を垣間見れることは想像の世界だとしても確かなことだったんだ。  

その時々によって見える景色は異なっていて、身体のすべてがとろけそうな気温だったこの日はたしか、古びた小さな町の商店街で活きの良い蟹を片手にぶら下げた、頭に鉢巻をした日焼けしたおじさんがにっこりと笑っていたと思う。  

衰退した観光地のような場所で、船着き場の近くの通り。  

道行く地域の人らしき腰の曲がったおじいちゃんやおばあちゃんに、真っ赤な蟹を掲げていた。  

そんなことを言ったら彼女は、柔らかく微笑んで澄んだ瞳で言ったんだ。


「私もきっといると思う」


こんなことを言われたのは正直初めてで、いつも変わった奴としか周りに言われてこなかったから、そのキラキラした瞳をまっすぐに見れなかったよ。


その後、夕暮れ時になって彼女が帰ると言い出してはじめて、もっと話していたいと思っている自分に気が付いたんだ。 

ああ、そうだ、思い出した。

彼女に似たような人と小さい頃出会ったことがある。    

だから、僕は初めて会った彼女に懐かしい感情を抱いたんだ。

幼いころ、夏休み期間中に海辺の祖母の家に遊びに行った日。    

音もなく地平線に沈んでいく丸い夕陽を眺めていたら、同じように夕陽を眺めている女性がいた。    

なぜか冬物のセーターを着た、ふっくらとした色白の人だった。  

こんな離島に見かけたこともない女性が冬物の服を着て座っている。しかも一人で。    

そんな事実に驚きながら、僕はその人を眺めていた。

その横顔は悲しそうにも嬉しそうにも泣いているようにも見えた。  

気が付くと海に陽が完全に落ち、辺りは薄闇に包まれた。  

生温い風が吹き、ふと空を見上げて視線を戻すと女性はいなくなっていた。  

あたりを見渡してももうどこにもいない。

帰り道もずっと、海をまっすぐに捉えた彼女の横顔が頭から離れなかった。

それから、またその人に会えるかなと思って砂浜に座って海を眺めることが多くなって、祖母の家に行ったときには必ず海に行くということが日課になったんだ。

はじめは、またその女性に会えるかもしれないという期待のために海に行っていたけれど、何年も経つと海に行くこと自体が、海を眺めるという行為自体が習慣として体に沁み込まれた。

この頃から、僕の癖は誕生した。

ああ、違うね。  

彼女が初対面なのに懐かしいと思った理由についてだったね。  

その女性にとても彼女がよく似ていたんだよ。

あの時の芯の通ったようなまっすぐな澄んだ瞳も、言葉では言い表せないような表情も。  

そう。だから、小さいときに一度だけ会った女性のように、もう後悔したくないんだ。

だから、今から彼女に電話することにするよ。

伝える初めの言葉はなにがいいかな。

そうだな。粋な言葉は苦手だから、

「ひさしぶり、元気?」にしよう。


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