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鈴木雄二著「多様性が日本を変える」から見た大学の未来考察

御縁がある大先輩(元日米学生会議代表委員長。1ドル360円時代に渡米し、ベンチャー企業だった㈱理経(現東証二部上場企業)を選択し、世界各地の拠点を切り拓いて数々の新規事業を日本にもたらし、同社社長を10年以上務めた人物)から新たな御縁をいただき、現トライウォールグループ取締役会長・CEOである鈴木雄二さんの軌跡を知ることとなりました。(昨年鈴木雄二さんの鎌倉の御屋敷(*重要文化財で故西岡常一(この本も大感動でした)棟梁の業を受け継ぐ池田建設さんしか補修が出来なかったそうで、普段香港にいる鈴木会長が月換算2回しか日本にいないのに、毎日庭師が山の整備も含め8人入っているとんでもない御屋敷です)にお邪魔させていただき、隠れ家的なイタリアンまでご馳走になっておきながら恐れ多くて出会ったとは言えないため、軌跡を知ることとなりました、と書いております( ̄▽ ̄;)(*余談ですが鈴木会長は歩く速度が非常に速いです。レストランから駅まで皆で歩いた時に感じて伝えたことですw)

さて、この敬愛する大先輩も波瀾万丈でダイナミズムあふれる人生を送られている、80歳でありながら20歳そこそこの若者とブロックチェーンの可能性について2時間も語り合ってしまうワクワク感あふれる方ですが、その50年来の親友である鈴木会長も映画になるような人生を歩まれています(実際に映画制作が進んでいると聞いています)。ブラジル・サンパウロ市出身で、奥様(故人)は日本の大学院で客員教授もされていたアフロアメリカン。米国に渡りシカゴ大学大学院数理統計学修士で学者の道もありながら、1972年にトライウォールコンテナーズ米国本社(*従来の木箱による梱包を3層になった特殊な重量物用のダンボールに置き換え、物流コストを大幅に削減し、輸出企業の利益向上や資源節約・環境保全を実現する事業を営む会社です)に請われてビジネスの世界に入り(*なんでも数学の教授でトップを目指そうと思ったら、同僚にとんでもない才能を持った学者がおり、ビジネスの世界でトップを目指そうと切り換えたそうです)、1974年に本社の方針で日本で製紙会社と合弁会社を設立。後に米国本社からの依頼で日本の合弁会社の株式を購入するよう言われ、日本初のMBO(Management Buyout)を実施した方です。(*米国本社からの依頼でMBOを引き受けたのに、日本の新聞には「番頭が母屋を乗っ取る」と書かれてひどい目に遭ったと笑い話でおっしゃっていました)この時に合弁パートナーの製紙会社と係争になり、日本市場を譲る形で中国進出に狙いを定め1995年にトライウォール㈱を独自資本で再設立(*日本では出資者が乏しかったものの、米国では断らねばならないほどの出資が集まったそうです。うーん、、日本て50年前から変わってないのね)し、2010年からは香港トライウォールリミテッドにグループ持ち株会社の拠点を移し、以後は香港に居住をされて世界を飛び回っておられます。(コロナ禍により、普段より日本に滞在する期間が延びたために、筆者が訪問させていただく機会を得られたというわけであります。)現在のグループ関連会社は100社を超え、世界各国にネットワークが敷かれています。車も精密機械も軍関係の物資もトライウォールグループの特殊ダンボールで運ばれています。

このたび鈴木会長の最新著書「多様性が日本を変える」を拝読し、巻末の昭和女子大学理事長・総長の坂東眞理子氏及びハーバード大学名誉教授の広中平祐氏との対談を含め、日本に対する考察だけでなく「大学の未来考察」についても示唆に富んだ内容であるため、備忘録としてNOTEに記すものであります。(相変わらず前置きが長いw)その意味で、冒頭に筆者が作成した「明治大学150周年に向けたファンドレイジング戦略レポート15ページ」(これもいずれNOTEに記すのでお楽しみに。誰が?w)の中から、総合ブランド力・独自性、外部資金獲得力・起業支援体制などに着目したポジショニングマップのページを抜粋して掲載しているわけであります。というわけで、鈴木会長同書から得た気づきと学びについて、第1章から順を追って要約して紹介していきたいと思います。テーマは「多様性」、すなわちダイバーシティ&インクルージョンです。

はじめに ・バブル経済崩壊後の所謂「失われた30年」は、パソコンとインターネットが結びつくことで爆発的なイノベーションが進行し、30~40億もの人々がダイレクトにつながる世界が生まれた。この巨大なコミュニケーション環境下で今までにない新たな価値観、文化が醸成された。この世界で勝ち続ける企業は、さまざまなバックグラウンドをもった人間が、日々ユニークな発想やアイデアを持ち寄り、時には、奇想天外と思われるような意見を闘わせている。一律ではなく多様性を受け入れ、それを尊重する社会や組織こそ強い。

 はじめに、から非常に重要なことが書かれています。大学は高等教育機関として、このような世界に送り出すべく教育を行っているわけですが、果たしてそれに耐え得る価値を提供しているのか、俯瞰して再考する必要があると思います。教員による教育・研究を支える役目を担う筆者が所属する事務組織は官僚制組織であり、多様性を尊重する組織体制とはなっていない厳しい現実があります。ちなみに同じ大学事務組織でも、一例ですが、立命館大学さんはダイバーシティ&インクルージョンに富んだ組織体制であると伺ったことがあります。厳しい世界で強い大学として勝ち残る=質の高い教育を届け続けられるには、後者の方が確率が高いのは自明の理でありましょう。

第1章 なぜ世界で日本人は活躍できないのか
・(GDP世界第3位の幻想)日本のGDPが世界のGDPに占める割合について、1990年:14%、2020年:6%未満となっている。世界第11位の人口がGDPを押し上げていることを考慮すると、この3位は胸を張ることはできない。
・「女性はこういうもの」というアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)は根強く残り、男女賃金格差はOECD加盟37ヵ国中36位。女性管理職比率も189ヵ国中165位と極めて低い。
・1989年の世界の企業の時価総額ランキングで上位30社のうち21社を占めていたが、2021年は0社。過去を懐かしんでいるうちに、世界はあっという間に先に行ってしまった。
・日本の停滞の一因として、現状で別にかまわないじゃないか、という肯定論が増えている。
・今必要なことは、過去の日本の経済的な成功を懐かしんだり、「そこそこ安定」といった肯定面を探してきて安心することではない。
・インターネットとデジタルの力で一気に変貌していく世界にしっかりと身をおき、多様な人々、多様な社会との出会いを通して、日本がどういう価値を世界に提供するのか、なにを日本のアイデンティティとしていくのかをあらためて考え、実行していくことが求められている。
・2020年時点でGAFAMの時価総額合計は560兆円余であり、東証一部上場企業約2170社の合計を上回る市場価値をもっている。米国が保持している多様性が、第4次産業革命の時代といわれる現代の創造の原点となっている。
・日本は多様性を苦手とする国であり、「以心伝心」「阿吽の呼吸」のように均質で、皆同じであることを求め、和を乱すことをなにより嫌う社会である。良くも悪くも和の国であり、横並びの国で、例外を認めず、受け入れようとしない。集団を守ることに熱心で、そこからはみ出すものには冷淡。
・ルールを柔軟に適用して「例外」を認めることを避けているから、日本には例外を前にして考え抜き、主体的に判断できる人が非常に少ない。
・例外はいつでも生まれる。例外にどう対応し、公平性を保ちながら社会をどう運営していくのかを考え抜くことが必要で、一人ひとりが主体性をもち、判断しなければならない。例外を認めない場合、考えなくていい社会になってしまう。
・例外を認めず主体的に判断しない、あるいは、思考停止してルールを至上とする社会であるところに、現在の日本の低迷の一因がある。
・今の日本の課題は多様性の獲得である。多様な存在は自分から見れば例外であり、気のおけない同質社会の外にあるものが多様性である。
違いのなかでこそ次へのエネルギーが醸成される。
・例外をいやがり、思考停止してルールにしがみつくことを止めなければいけない。もっと世界に目を開き、違いを直視するところからコミュニケーションを始め、学んでいかなければならない。

 第1章を読むと、日本の現実を目の当たりにし、「子どもが日本にいていいんだろうか?」という危機感を覚えるほどです。多様性の中に身をおく環境を提供すべきなのではないだろうか、と本気で思うわけであります。鈴木会長は「多様性が現代の創造の原点」と指摘されていますが、筆者が所属する明治大学においても、理事長は「新規価値創造ができる職員」を育成すべしと講話で述べています。すなわち、多様性を認めて伸ばしてビジョンの実現につなげる組織運営体制が必要であるということではないでしょうか。

第2章 社会構造、偏見、教育制度...グローバル化を阻む日本特有の問題点
・米国の教育は多様性にこそ価値があり、それを誇りとすることを教えるもの。日本の教育は均質であることに価値があり、言葉にしなくても心で察し合える人間関係を良しとする。
・米国は違うからこそ興味が湧き、そこからコミュニケーションが始まる。日本は違いを見つけたとたんにコミュニケーションが止まる。
・日本の教育のなかには、子どもの個性を伸ばしたり、異能を育てたりするというマインドがない。教育はひたすら”異質”を排除し、”同質”であることを求めるため、偏差値では見えてこない能力は評価の対象外となっている。こうした教育現場では、個性的なものや多様なものを尊重したり、自らの関心に沿って独自の道を歩もうとする精神が養われるとは思えない。
・米国では大学入学時にひとつの物差しで選ぶことを避け、多様性を重んじる。軍隊などに進み一定のブランクがある人でもスムーズに大学の勉強に入っていけるように、単位取得のための授業とは別にキャッチアップのための授業も設けており、希望するできるだけ多くの人に、教育を受ける機会を与えようとしている。
・米国では入学後に専攻を変えることも容易で、転科して大きな成果を残した学生はたくさんいる。退学していく学生も多いが、途中から入ってくる学生も多い。誰にも自分の学力と関心に合わせて、学びたいものが学べる環境が用意されているため、学生の新陳代謝が盛んである。
・日本の教育は、ひたすらひとつの型にはめた同質の集団をつくろうとし、アメリカの教育は、それぞれに異質な能力を見つけ出し、それを伸ばそうとする
・多様性を養う教育を行う「ぐんま国際アカデミー」(群馬県太田市)がもっと注目されるようになってほしい。
日本は違うことを恐れ、米国は違うことを楽しむ
・日本の教育はもっと多様な人々をキャンパスに招き入れ、違いを学ぶという場にしていかなければならない。学生も同じものにではなく、違うものにこそ価値を見いだしてほしい。それが自分の発見につながり、成長の糧になる。
・日本の組織は、目的のために役割を分担した機動的なチームではなくて、絆を第一にした家族的な集まりである。
・1974年当時に日本の合弁会社との間で直面した問題は、2021年の今もなお日本企業や組織、社会の足を縛り、真のグローバル化を阻み続ける障壁となっている。
・日本で常識だと思われていることは、決して世界のグローバルスタンダードではないことに気づいてほしい。
・日本では「わが社(Our Company)」というが、世界では株主に対して「ユアカンパニー(Your Company)」と呼称するのがスタンダードである。
・バランスシート(BS)や損益計算書(PL)というごく一般的な財務諸表ではなく、キャッシュフローの見方を知らない経営者が多い。キャッシュフローを見ない限り、機動的な経営施策は打てない。(*EBITDAを見よ)
・営業先に直行し、そこで仕事を始めたときが始業であり、客先で仕事を終えた時が終業である。
目標を共有し、そのためにそれぞれが解決すべき課題さえ明確になっていれば、あとは任せればいい
行動の自由度や裁量の範囲が大きければ大きいほど、人は自分の頭で考え、行動し、成長していく。自由であればあるほど成長の余地は大きい
・(マネジメントとして)社員各自が、自分の任務やその価値を客観的に見つめ、判断するという訓練につながる機会を与えよ。
・教育の現場や会社組織が大きな家族として存在し、身内で固まり、よそ者を排除することで居心地の良い同質の集団をつくるのは、社会の全体を「異質を嫌うもの」にしてしまう。
・多様性のない社会に、発展はない。
・日本は悪意ではないが、もともと同質であることを執拗に求める社会である。
・徹底的にダイバースな環境をつくって、多様な人材がそれぞれの持ち味を発揮し、その結合した力で、世界市場で活躍するという国際企業を作りたいと思っていた(=ダイバーシティ&インクルージョンを旗印にした会社組織づくりとそれを母体にした事業 *1995年当時)
・(当時の)日本の銀行やベンチャーキャピタルは融資に応じず、22年にわたる経営も評価対象にならなかったが、米国、英国、ドイツ、オーストラリアなどの海外投資家は、わずか2ヵ月半で合計75億円もの株式への投資表明をしてくれた。
・新会社の船出に際し、退職金の活用や給与減給を申し出て集ってくれた人々に対する感謝の気持ちは、一生負っても負い切れるものではないこうした人々が世の中にいるのだと思うだけで、気持ちが奮い立ち、世も捨てたものではないと強く感じた
・去る方々も数名あったが、船出を共にした人々に対する感謝の気持ちは、いささかも変わるものではない
主体性をもってリスクを背負いながらチャレンジする道を選択した人々を見て、南極探検隊を引き連れたアーネスト・シャクルトン卿を思い起こした。
50歳を少し超えたところで迎えた2回目の起業は、自分なりの営業スタイルがあり、どうすれば組織が最大の力を発揮できるかということについての考えがあり、何より頼もしい仲間たちがいた。

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 第2章の内容はまさに大学教育の現状に直結した課題提示を受けているような気がいたしました。特に筆者は異端とも異能とも言われるため(ほぼ異端でしょというツッコミは要らないw)、鈴木会長の言わんとすることが非常に肌身に沁みて良く分かるわけであります。とりわけ、「偏差値では見えてこない能力は評価の対象外」というところが気になります。新たな価値創造などは、偏差値で見えない異質な才能がモノをいうのではないでしょうか。昨今では経営には「アート&サイエンス」が必要と言われるようになりましたが、アートの部分ですね。筆者はこれまで少なからず学生と接する機会があり、今後のキャリアにおいてその機会を最大化する道を進むことを決めましたが、同じということではなく、違うことに価値を見い出すきっかけを創出していきたいと思っています。(*振り返ると、0→1の異能を面白く感じ、そういう学生たちの後押しをすることばかりやってきたように思います。「そのおかげでこっちは大変だったんだよ!」という同僚のお怒りも筆者は多様性として甘受するわけでありますw)
 さて、ここで鈴木会長が示唆する組織の在り方について、注目すべきは主体性を持たせて自由度を上げるほど人間は成長する、と述べている点です。筆者が所属する大学事務組織の人材も、約5分の1は中途採用職員であり、それぞれ強み=異能を持ち合わせているはずです。その活かし方、働きやすい環境づくりは、喫緊の課題であると思料する次第です。
 最後に、鈴木会長のお言葉から、感謝の気持ちが非常に強いということです。筆者も非常に強く共感を覚えます。感謝の気持ちをもたない方、俯瞰することをせず、一時の感情や出来事に流されて感謝の気持ちを忘れてしまった方は、ビジネスにおいても人生においてもお付き合いすべきではないと思料します。一番困った時に寄り添ってくれる、手を差し伸べてくれる人物こそが人格者であり、徳の高い方と言えるのかもしれませんね。重要なのは相手がどうなろうと、恩は忘れないということです。相手が失脚したり失敗したりすると態度を翻す人物が少なからずいますが、もしそのような方に出会った場合、一度しかない人生において、時間資産を共にすべき人物であるのかどうかを俯瞰して考察する必要があるのではないでしょうか。ちなみに筆者は藤野公子先生による教育機関・企業人事研修においても採用されている「ビジョン・ロードマップ」を作成しており、人生の死ぬまでの時間をどう使うか【ミッション・ビジョンを軸に環境・自己研鑽・人間関係・ファイナンスの各項目について幸福度を考察して設定】し、年に数回は更新しています。そのため筆者は大学等では「分散型金融における新たな価値創造」の他、「タイムアセット(時間資産)論」に基づく、人生におけるチャレンジの機会を後押しすることを創出していき、「付加価値のバイアウトにつなげる」ようなことをレクチャーします。その中で重要なものとして、多様性を認めつつ、同じ船に乗れる人は誰か、を見つける目利きの力を付ける訓練をすることは欠かせない要素になるでしょう。

第3章 欧米諸国から学ぶ、日本に必要な「真の多様性」
・疑似家族となって内に固まり、外を排除したとたんに、組織は活力を失う
最も大切にしたのは、民族、文化、国、性別、能力...あらゆる違いを受け入れ、お互いその違いに学びながら力を合わせることであり、そこにこそ、成長の糧となるものがあるはず。
経営トップの役割とは、違うものが自由にぶつかり合える空気をつくることであり、それができれば会社は発展していく
・進出先の国をよく知ること、その歴史や文化、人々の暮らしをリスペクトし理解すること。
・海外進出にあたっての大原則は、当時も今も、徹底した「現地主義」
・『毛沢東語録』、鄧小平の論文、『三国志』も『論語』も『老子』や『荘子』も『史記』読んでひたすら学んだ。
・”中国人の言葉は紙よりも重い”という約束は果たされた。世界各地で仕事をしてきたが、一番騙されたのは実は日本かもしれない。
・効率や安全のための最低限の就業ルールなどは共通のものがあるが、それ以外は”現地なり”である。社長は現地の人間、社員も現地の人間が中心で、日本人スタッフは少ないほど良く、軌道に乗るまでのサポート役である。
・2021年現在、世界で100以上の子会社・関連会社があり、従業員は4000名以上に達しているが、香港のグループ会社の経営管理を統括する本社は17名のみである。現地主義を貫けば17人でも100社以上を動かすことができる
・ひとつの型にはめ込もうとしたら、違いは見えないし、学びもない。相手国の文化や歴史を尊重し、敬意を払い、それに学ぶという姿勢で接することが一番重要である。一方的に持ち込むのではなく、ただ相手に合わせるのでもない、その国の地域ならではのものをともにつくり上げていく、ということが真の多様性である。
精神的な核になるものがあってこそ、多様な人々が、多様なままでひとつになれる。多様性を活かすためには、多様なものをまとめるひとつの結集軸をもたなければならない
・多様性というのは、違いが見えるように立ち、違いに素直に学ぶところからしか生まれない。(*ダンボール事業がどう見えるか、何を学べるかも視点により異なるのである)

 第3章では、「現地主義」と現地へのリスペクト、違いを受け入れて学ぶことが多様性を生むということが述べられています。MBS(明治大学ビジネススクール)でもグローバルとは何か、海外進出について藤岡資正教授の講義で学んだ記憶があります。ちなみに鈴木会長のMBSでの御講演は、コロナ禍で延期になってしまったため、早期に実現をしたいところであります。また、多様性を活かすためには、精神的な核(*米国合衆国憲法の精神、イギリスのNHS(National Health Servie)、ドイツの負の歴史の継承と克服すべきものとしての自覚など)となるものが必要であるという点も印象的です。個人に当てはめると、明確な自己の意思、判断軸、寛容性をもっているということでしょうか。それがあるからこそ意見交換もでき、素直に学ぶことができるのかもしれませんね。ちなみに私の直属の師匠である橋本雅隆教授は、イノベーターの特徴として、下記の5つの能力(出所:橋本雅隆(2020)「イノベーションリーダーの能力」講演資料)を挙げていますが、まさに多様性を認めることにつながっているのではないでしょうか。筆者の見解としても、人生のあらゆる場面(*日常でもビジネスでも投資の場面でも)において、「素直さ」は重要な成功につながるファクターとなっているのではと思料する次第です。

 ・メタ認知能力
「自分の置かれた環境と自分の役割を正しく認識し、自己の心理状態・思考や行動を客観視し、行動の結果や相手の反応を見ながら自己の考え方や行動パターンを修正し続けるマネジメント能力と学習能力。」(橋本2020)つまり、現実を俯瞰的にとらえることができる能力である。
 ・コミュニケーション能力
「先入観を持たず、また、自分の考えを押し付けない。相手の話しをよく聞く。相手の置かれた状況を注意深く観察し、理解する。背景と文脈に注意し、意図、意味を考え、現場と事実で確認する。」(橋本2020)
 ・論理的思考能力
「因果関係に着目し深層の問題を突き止める。相手のさまざまな発言、観察した様々な事実、既存の知識や事例などを整理し、編集する。」(橋本2020)
 ・現場での実現化能力
「情報システムを造る前に、現場の仕事を改善し、整え直しておく。定常状態と非定常状態の区別を明確にする。イレギュラー対応のシナリオは可能な限り想定しておく。」(橋本2020)
 ・善き目的を提示する能力(リーダーシップ源泉)
「善き目的とは未来に向けた利他である。プロジェクトのメンバーが主体的に参画する動機となるような善き目的を提示する能力である。善き目的は、その組織が社会で存在する理由に直結し、組織のメンバーが主体的に参画する動機を提供するものである。善き目的は、倫理観とメタ認知能力を基盤として獲得できる。また、目的と手段の転倒を防ぐ。善き目的は、業務プロセス革新者がプロジェクトのメンバーや組織全体に対してリーダーシップを発揮する根拠となる」(橋本2020)

第4章 世界のトップ企業が行う「ダイバーシティ経営」~多様な人材を集めれば、個人・組織が成長できる
多様性がなければ、新しいものは生まれず、進歩もない。GAFAMは多様性を尊重する米国生まれであり、米国自身が、多様性を尊重することで発展していけるのを知っている。
・(一例として)米国M&Aでは第三者の人事委員会により、一人ひとりのマーケットバリューが外部の人間によって客観的に判定される。日本のたすき掛け人事などは存在しない。「アカウンタビリティ」があるから。
・マネジメント層の採用に関して注目するのは3つだけ。①「やる気があるかどうか」②「(その会社の仕事で発揮できる)能力があるかどうか」③「人格者であるかどうか」。人のリスペクトは人格や人徳という点に向かう。
・能力がないのではなく、会社が今やろうとしていること、そのために求めている人材像に合わないだけ。自分に合うチャンスは早く見つけるべき(*次の道でこそ、あなたらしさや能力を活かして活躍してほしい、そのスタートになってほしい)。
多様性に富み、創造性豊かな組織をつくるためには、平均的な能力の高さではなく、ある面で突出した才能や能力をもつメンバーを擁することも重要
・企業には2種類の人材が必要で、一方は、積み上げた実績を確実に守り、さらに伸ばしていく”守り”の人。他方、誰も思いつかなかったような斬新な発想や思い切ったチャレンジを通して、ゼロから1を生み出す新規事業創造の力をもつ”攻め”の人材も必要
”攻め”のグループを”守り”のグループの下においてはいけない。新規開発に携わる組織は少数でも独立したグループであり、「面白そうだ。やってみよう」と決断できる経営トップ直結であるべき
・絶え間ない成長と変革のために、組織を安定させるだけでなく、突出した個性的な集団を組織し、かつそれを”お飾り”ではなく、きちんと機能するものとして擁すること。これが守りにも攻めにも強い組織づくりにつながる。
・欧米の経営者には、経営手腕だけでなく、豊かな教養をもち、人間的にも非常に魅力的で事業を離れて絵画や音楽、ワインやスポーツを楽しむ人が少なくない。こういう世界の広さをもっていなければ、思いがけない着想を面白がることはできない
・(一例として絵画などについて)人がどう言っているということではなく、自分の目でそれを面白いと直感し、評価する鋭さが経営に通じる。
絵画や音楽などに触れ、自らの感性を磨くことは、経営を担う人間にとって大切であり、”奇人・変人”のひらめきに面白さを見いだし、その背中を押せることが、組織を活性化し経営を前に向かって不断に進めていく力になる。経営者はアートの理解者であるべき。
・世界は広く、そこで重なねられる出会いには、人生を大きく変えるようなものもたくさんある。海外でのさまざまな体験が生涯にわたって世界を意識し、世界で出会う人を楽しみに思う私の感性を育ててくれたことに感謝したい。
・”第2の母”プラット夫人(*米国第19代大統領ラザフォード・ヘイズの子孫)とシカゴで出会い、まさに利他の人で衝撃であった。人は誰も一人で生きているのではなく、さまざまな人に支えられて生きている実感が湧いた。
・両親からスタートして10代前は1024人、20代前は104万8576人が連鎖しており、その一人でも欠けたら自分は存在していない。そういう縦の連鎖を背負った人間が横につながって、今の自分が生きている。すなわち、地球上に無関係な人間は一人もいないと感じられる。先祖から続いている長い縦の関係と、今の自分を生かしている人々との横の関係が、私たちの命といえる。
・私たちは出会いを繰り返し、互いに学びながらそれぞれの人生を生きている。その機会を多くもつこと、そこから多くを学ぶことが必要。
・インターネットを通じて情報が瞬時に手に入るが、それは他人が整理した情報であり、自分の頭や体を通したものではない。大いに利用はすべきだが、その限界を知っておくべきである。
多くの出会いを求め、それを大切にすることこそ、多様なものに学び、自分を成長させていくことにつながる

 第4章からも非常に多くのことが学べます。人格者たれというのは、鈴木会長がピーター・ドラッカー先生の講義を受けた時の印象的な教えだそうです(*詳しくは同書を購入して読んでください)。リスペクトは心から湧き出るものですし、立ち居振る舞いに触れ、自然とリスペクトをしてしまう人物は存在しますよね。確かにこれまで筆者が出会ってきた偉大な方々は、謙虚で人格者である方が多いです。謙虚ではない方、感謝の心が無い方は、偽物であることが早晩露呈することが少なくなかったですね。。。
 続いて”守・破・離”に通ずる守りと攻めの人材についての考え方ですが、筆者は変化の時間軸が非常に速い現世界では、鈴木会長が述べられているように、守りと攻めの人材を区別して考えるのが相応しいと思料します。筆者はスポーツでも習い事でも基本をみっちりやるタイプでしたので”守・破・離”に共感を覚えますが、もしかすると”守・破・離”にも多様性があるのかもしれないと思料する次第です。特に、例えば明治大学創立150周年に向けた150億円寄付獲得などの新規プロジェクトを成功させるためには、まさに今、”攻め”の人材をどこに配置するかを決めておかねばならないわけです。この判断を誤ると、その損失は結局未来の学生にしわ寄せがいくわけです。自分たちの代だけ、自分が退職するまで、とか考えるのではなく、俯瞰して”未来のあるべき姿”から逆算して布石をしていくことが必要でありましょう。鈴木会長の例えで表すと、明治大学校友は58万人を数えるわけですが、58万人には20代前104万8576人が縦につながってきたと考えると、6081億7408万人がつないできたことになるわけです。それが横につながったこともあると考えると、大学の使命である永続性は、一人ひとりの人生そのものを大切に学びでつないでいく、ということからも重要なのかもしれません。少なくとも筆者は今後のWEB3.0の世界で生きていく学生たちの一助となるよう、どう強い明治大学を後世に遺していけるか、どのように筆者なりに(ファンドレイザーとしても)貢献できるかを考え続けて、施策と実証を提供していきたいと思料する次第であります(必要でしたら他の大学へも惜しげもなく知見は提供します。これまでもそうしてきました。知見を必要とする人がいるなら、出し惜しみはしない。ファンドレイザーの基本精神です)。それが現在の自分の命につないでくれた先人たちの心に応えることになるのでは、と感じるのであります。大袈裟に言うと生きている意味につながるかも。。。
 続いて、経営者はアートの理解者であるべき、という点にも強い共感を覚えます。筆者は御縁によって絵画や音楽の世界のアーティストとの交流を継続させていただいており、その感性がもたらす幸福度なども目の当たりにしてきましたので、母譲りのアートを愛する心を持ち合わせていることに感謝をしている次第です。特にNFT(の前身)を4年前からいじったり、結果的に後々売れっ子になった芸術家を発掘することになる経緯で起こる各国のアーティストとの対話は、非常に愉しいものであります。(付加価値のバイアウト後に仕組み作りを完了したら、落ち着いて絵を描きたいという思いもあります)鈴木会長が述べられている、芸術も「自分の目で直感し、評価する」ことが経営者としての感性を磨く、というのは筆者の人生においてもこれまでの出来事で肌で理解できるものであります。

第5章 日本を愛せば多様性への理解はさらに深まるー グローバル社会で"日本人の強み"を活かせ
・多様性を尊重し、そこから学ぶことができる人は、自分を知り、自分らしさのへのこだわりをもっている人。自分が確固としてあるからこそ、他人の存在やその個性を認め、リスペクトすることができる。個人だけではなく、あらゆる組織、国家についても同様。自国の魅力、自国らしさへのこだわりがあるからこそ、他国の個性が見え、それを尊重しようという意識が生まれる。その意味で、日本という国への理解と愛情こそ、多様な世界を受け止め、学び合うことの出発点になる。
・日本人はもと自国の文化に誇りをもつべき。それは他国の文化への関心につながり、多様性の獲得への道を拓く
・(深川の芸者で置屋を営む)紗幸(フィオナ・グラハム氏)さんを応援したいと思うのは、自分が価値を認めるもののために、信念を貫いて生きていこうとしているから。紗幸さんの言葉「その国の文化を愛するのは、この国に生まれた人ではなくて、この国を選んで住みついた人ではないでしょうか。この国の文化が好きだという人が集まれば、文化の強い守り手になり、継承者になると思います。そもそも日本人、外国人と分けること自体がおかしい。私はこの国を選んだ永住者です。日本文化を語り、楽しむために、それ以上のなにが必要なのでしょう?」→(鈴木会長:移民を単なる労働力として見ている特定技能保有者を扱う今の日本のやり方は間違っている。)その国を目指して入国する移民がたくさんいる国は、その文化がどんどん強くなる。
国籍というのは、その人間の国際的な移動や他国での活動を保護する便宜上の機構や機能であって、それ以上の、人の価値を根本的に左右するようなものではない
日本人だから日本文化を愛するのではなく、日本文化を愛するから日本人なのである。

 第5章のフィオナ・グラハム氏との交流から得た気づきも大きいですね。日本文化を愛する人が日本人である、という言葉は印象的で、日本人だけど日本文化を大切にしていない、顧みる暇もなく生きている人は多い気がします。であるなら日本を愛し日本文化を愛して大切にしてくださる人は、国籍関係なく貴重で、大切にすべき人物でありましょう。これを狭義と理解した上で、大学の事務組織に当てはめてみると、600名弱の職員の内、100名を超える中途採用職員がいます=大学外の組織パラダイムで生き抜いてそれなりに権限をもってバリバリ仕事をしていた方々です。出身大学は母校じゃない人も一定数います。そのような数千人応募がある中で狭き門を勝ち抜いて大学に入ってきた方々に対して、プロパー職員は怖さを覚えるのか、距離を置いたり、才能の認め方が分からないのか、軋轢が生まれたりすることはままあります。その逆もまた然りです。ここで揉めすぎると「給料変わらないしがんばるのやめておこう」というように新たな刺激と成長をもたらすであろう人的資産たちが旧来の組織パラダイムに吞み込まれ、組織の活力が失われて終わるパターンに帰結しがちです。ここでも多様性の獲得が重要なキーになる気がいたします。それなりの実績を積み上げてこられた方々なのだから、その能力を活かしてさらに大学事業において伸ばす形で活用すればよいのに、と筆者は思料し、(毎度求められていないのにw)新入職員が大学外郭事業会社に入社後2年は出向し、外郭事業会社の社員と仲間として事業を進めることで明大グループとして結束を強め、さらには中途採用職員のこれまでの能力を活かして外郭事業会社の各部門に配置し、そこで外郭事業会社の底上げを行ってもらいつつ、大学事業でまだ未活用のマネタイズできる源泉を見い出し、外郭事業会社がそれを実現していくエコシステム、ここではビジネススクールの教員が各専門を生かして連携して、明大グループとしての稼ぐ力を強化していく、というような仕組み作り提案書を作成しているわけであります。多様性を認めてお互いに伸ばしていけば、まだまだ余っている(大学が気づかず眠らせている)資産を用いて解決できる課題が無数にあるものと思料する次第です。ちなみに上記の例でいくと、中途採用職員のほうが明大に対する母校愛が強かったり、一所懸命自分の能力を大学事業に生かせないかと努力していたりするわけであります。紗幸さんの例に見るように、どちらが明大を愛しているかは自明の理であります。筆者は一人ひとりがそれぞれの特長、才能を生かして課題解決に貢献できるような仕組み作りをファンドレイジング戦略提案にも盛り込んでありますが、そうやって仕事をするほうがストレスがないですし、それぞれの幸福度の最大化につながるものと思料する次第です。人生の時間資産投下の上で、ストレスが増える選択肢はなるべく除外していくほうが良いというのは身をもって学んできたことであります(苦笑)。人生において無為に失う時間は少なければ少ないほど良いということに早い時点で気づいた上で、それでも無為に過ごしたいなら無為に過ごす道を選択できるようにしておくべき、ということです。この辺は筆者の時間資産論(Time Asset Theory)にビジョン・ロードマップを盛り込んだ形で、個々人の付加価値のバイアウトまでつなげるという講義に盛り込まれる予定です。さてその大学はどこになるのか。これも楽しみなビジョン・ロードマップの轍でありますw

第6章 「真の多様性」を受け入れて、世界をリードする国となれ
・多様な人との出会いを価値創造の源泉とするためには、ただそこにいろいろな人が集まっているということでは足りない。互いに学び合う関係をつくるためには相手をリスペクトすることはもちろん、仮に意見が違っても自分だけが正しいというドグマにとらわれないこと。
・数学では「それ以上は厳密に定義できない"あいだ"(undefined term)」を学んだ。自然科学の世界では「これが絶対に正しい」「これしかない」という発想は生まれない。美しいものに触れ心を涵養することは大切だが、「私が美しいと言うのだから美しいのだ」、と言ってはいけない。
・フランスの数学者パスカルは『パンセ』において「正確に思考することが道徳の第一原則である」と述べている。多様な世界を受け入れるためには、ドグマを避け、最後まで「自分は間違っているかもしれない」という疑いを持ち続ける科学的思考を大切にしなければならない。
・妬みや嫉みからは成長や創造も生まれない。多様性を排除し、内に閉じた社会からは、新たな発見や創造は生まれない。均質な社会では誰かが突出することはない。
・日本の同質で相対的な世界に生きる人には、成功者には妬み嫉み、という心理が働き、素直に成功を祝福したり努力や実力を認めようとしない。ここからは、自分も頑張るという意識は生まれず、成長も創造もない。
・成功者に対して妬み嫉みで臨む人は、その裏返しとして、成功できなかった者には敗者の烙印を押して足を引っ張る。同質社会から突出することを良く思わない心情のもう一つの側面である。
・日本の同質で相対的な世界に生きる人には、成功者には妬み嫉み、という心理が働き、素直に成功を祝福したり努力や実力を認めようとしない。ここからは、自分も頑張るという意識は生まれず、成長も創造もない。
・成功者に対して妬み嫉みで臨む人は、その裏返しとして、成功できなかった者には敗者の烙印を押して足を引っ張る。同質社会から突出することを良く思わない心情のもう一つの側面である。
・日本の失敗を「恥」と見る風潮は、均質社会を良しとする精神の象徴的な一面であり、「そもそも挑戦しようとしたのが間違いで、失敗はみじめであり、だからみんな一緒にいようね」というものである。敗者復活の道がなくなり、1回負けたら終わり、という社会になってしまう
・成功すれば妬まれる、失敗すればさらに足を引っ張られる。挑戦せず、目立ったことはせず、大きな船の目立たない漕ぎ手の1人になって、平穏無事に過ごすのが賢いということになってしまう。こうして、できるだけ大きな船に乗ることが目標になり、安定した大企業が人気の就職先となる。そこから逆算して、いい大学、いい高校、いい中学というお決まりのレールに首尾よく乗るために、偏差値をにらみながら進路を考えることになる。
偏差値に反映されない能力は関心が寄せられず、本人も視野から外すため、チャレンジがなく、新しい才能が育たない社会になってしまう。
・大会社という大きな船に乗るための最後の就職活動も、チャレンジなき社会の縮図のような存在。
・日本の就職面接では会社が質問することがほとんど。米国はむしろ学生が会社に対して質問し、ディスカッションをすることが多い。業績や市場動向についての考察なども遠慮なく聞く。米国の就職活動は、むしろ学生が自分の力が最も発揮できる企業を選ぶ機会である。
・大学教育においても、米国は学生に企業を分析する力を授けている。財務諸表の読み方など基本事項をきちんと教える。このような知識、実際に役に立つものが教養である。だから学生も就職面接で堂々と質問ができる。
・米国では、常に自分の市場価値とはなにか、社会に対して、自分がどういう価値を提供できるのかということを、常に考えさせられる。それは教育のなかでも、仕事のなかでも同様である。
・ビジネスマンとして成功したといえるのはどういうことか、メリルリンチのインターンシップに参加したときに「50歳になったときに、不動産を除いて、現金で100万ドルを持っていることだ」と言われた。当時は30歳手前で、20年余でどうやって100万ドル稼ぐのかと考え、自分のどういう価値を誰にアピールしていくらのサラリーで契約するのか、自分を見つめつつ、その道筋を描いていった。軌道修正はあるが、社会に対する提供価値とそれによって自分が得る評価や報酬ということを常に考えている。(これに比して)会社のなかの自分の立ち位置や社内における評価ばかり気にしている日本のビジネスマンとは大きな差があるのではないかと思った。
"アメリカンドリーム"とは、本来は、誰もが平等の機会を得てその能力を存分に発揮し、新たな価値提供を通して社会的評価を得ることである。
・(米国でも大企業で)部長になるには20年も30年もかかるだろうし、自分のアイデアで新規事業を立ち上げることも、大胆な業務改革に着手する機会もまずない。中小企業やベンチャー企業のほうが、思い切った取り組みができ、成功したときに得られるものも大きいから、米国では中小企業に行きたいという学生が多い。
・入社後にストックオプションという形で自社株を将来一定額で購入する権利を得る場合も、すでに上場している大企業では、それほど大きな株価の上昇は見込めず、うまみは大きくない。一方、非上場のベンチャー企業は、上場時に手持ちの株が莫大な資産となる可能性がある
・米国では優秀な学生ほど中小企業を選び、「自分が入って上場させる」意気込む。
・米国では失敗を評価するマインドがある。チャレンジに失敗はつきもの。そこからの教訓を得て再チャレンジをすることを重んじる。偉大な発明も、膨大な失敗を重ねるなかから生まれる。
失敗しなければ学びはなく、成功するためには失敗が必要である。だからこそ米国のベンチャーキャピタルなどは、むしろ失敗した人間のほうを「一度学んでいる」という理由で評価をする日本では、失敗したことはマイナスの評価材料でしかない。一度失敗した起業家に対しては誰もが投資に二の足を踏む。
閉ざされたマインドから、新しいものは生まれない。失敗する自由、間違える自由こそ、創造の源泉となるものである。それを保障する社会や組織でなければならない。
多様なものを受け入れ、インクルージョンしながら新たな世界に踏み出していくためには、失敗を認め合いながら進んでいかねばならないと同時に、「私たちが目指すものはこれだ」という共通の理念や志に導かれる必要がある。単なるお題目に過ぎない「企業理念」「経営ビジョン」にメッセージとしての力はまったくない。
・米国は合衆国憲法に戻って、そこで一つになるという努力を繰り返していく。このように根本的な一致点があるからこそ、多様な人々が多様なままでいることができる。多様であり、その多様性をポジティブに活かすためには、多様な人々を一つにつなぐ根本的な紐帯が必要。
・日本が豊かな多様性をもった社会、国になるためには、民族や人種、国籍を越えて私たちを一つにする理念が必要である。
日本が国際社会で独自の存在感を発揮し、品格をもった国として尊敬される存在であるために、医療立国ということを真剣に検討したらよいのではないか。それは「GDP世界第3位の経済大国」の虚像にしがみついたりするような現状を打開し、世界からリスペクトされる存在になることを可能にする。医療を日本という国の"ブランド"にして、多様な人々を世界から集め、世界に貢献すればいい。
・日本に行けば、世界最先端の医療が無償で学べ、卒業後は世界で活躍できる。日本の高度医療なら治る。すなわち世界から人が集まることになり、日本という国を多様性に富んだ活力ある国に変えるに違いない。医療で世界に貢献する「人道的国家」は、誰からも攻められることはない。医療立国の施策は、軍事的な兵器に依存しない国防政策にもなる。
理念を世界に向かって高く掲げ、そのもとに志をともにする多様な人々を結集させることが、いつの間にか国際社会でどんどん影の薄い存在へと下降し続けている日本を、再び活力のある国へと反転させていくきっかけになる。

 この章のメモはとても多くなりました。まず『多様な世界を受け入れるためには、ドグマを避け、最後まで「自分は間違っているかもしれない」という疑いを持ち続ける科学的思考を大切にしなければならない』という点ですが、耳が痛いですね。。人生のあらゆる局面に当てはまる気がします。筆者はありがたいことに、数々の業界で伝説的な実績を積み上げた方々と対話をする機会をいただくことが多く、お話しを伺うのが大好きなのですが(*ちなみに大学では学生の皆さんのお話しを聴くのも大好きです。WEB3.0時代だからこそ、そのような個別対話コミュニケーションチャネルを準備しておきたいと密かに戦略提案書に盛り込んであるわけであります)、事を成し遂げた方々が異口同音に「ひとりではできなかった。御縁のあった人々のおかげである」という主旨のことをおっしゃいます。全ての面において完璧な人間は存在しないと思料される中、常に謙虚ではなくとも、謙虚な心は持ち合わせているということであります。自身を俯瞰して見つめられるということは、他者に対しても俯瞰できるということであり、良い面を見つけられる、認められることにつながるものと筆者は思料します。

 妬みや嫉みからは成長や創造も生まれないということについても同感です。特に筆者はタイムアセット論者のため、妬んだり嫉んだりするより「自身を伸ばすことに前向きに時間(アセット)を使った方が善い」という考え方の下、行動規範が決まっているものであります。恐らく「他者の悪口を言わない」という美徳は、生きている時間を前向きに使う、ということにつながるのではないでしょうか。内に閉じた社会からは新たな発見や創造は生まれない、というのも、妬んだり嫉んだりしているわけは新たな発見や考察に使われていないわけであり、発見には膨大な実験の繰り返しがあるとするならば、その繰り返しに早く時間を使った方が善いという帰結になるわけであります。

 続いて日本における、失敗をマイナスに捉える風潮について。筆者は大学に置き換えると、「挑戦せず、目立ったことはせず、大きな船の目立たない漕ぎ手の1人になって、平穏無事に過ごすのが賢いということになってしまう」ことが、安定した大企業が人気の就職先となり、もっと言うと就職の成功がそのような目標を後押しすることで得られると、就職支援面で善いとは言えない方向のまま進められてきたのではないかということです。その過程では偏差値が重視され、「偏差値に反映されない能力は関心が寄せられず、本人も視野から外すため、チャレンジがなく、新しい才能が育たない社会」となってしまうのではないか、と鈴木会長は指摘しています。筆者は最近ひしひしと感じているのが、お金の稼ぎ方が変容している≒多様化しているということです。岸田総理が所得を増やす政策を推進する中、「年収400万円が高給取りの時代へ~」(出所1/14(金) 15:27配信 ABEMA TIMES*リンク切れの際は御容赦ください)というニュースがありました。つい先日も著名なプロデューサーでありミュージシャンである方が、海外を訪れる時、世界各国のマクドナルドの時給を確認するようにしているのですが、日本の方が上だと思っていた国が、実は日本の時給は1000円で、某国の時給は2400円だったというお話しをされていました。これは一例ですが、誰もが知る著名なミュージシャンより、歌が上手な素人のほうがSNSのフォロワーが圧倒的に多く、歌をツールとした報酬は素人のほうが多い、という事例はもはや珍しくありません。明治大学の先輩でありノマドライフの先駆者本田直之氏は、十数年前に「複業を意識して準備をしておくように」というメッセージを発信されていました。今でこそスキルの掛け合わせが本業以外の異業種でも身を助けることになるという考え方が当たり前になりつつありますが、筆者は本田氏から利他の心及び実践、複業を意識した学びの積み重ね(*筆者の場合は大学の何でも屋として生き抜いてきただけとも言えますw)の大切さを20代後半ながら学ばせていただいたことにとても感謝をしている次第です。つまり、偏差値に反映されない能力を磨くには様々な失敗が必要であり、少なくとも失敗が成功につながる有効な道程であるということでありましょう。したがって、大学では就職をアピールするのではなく、どのようなチャレンジができるメニューが豊富にあるか、それを多様な形で支えてくれる人的資産(≒メンター、OBOG、大学と良好な関係を築いているOBOG以外の心あるステークホルダーなど)活用スキームが用意されているか、そして失敗してもまたケアをして大学は卒業後も個々のステークホルダーに寄り添っていきます、というマネジメントが必要なのではないかと思料するものであります。このような体制にすることによって、日本でも就職活動の場が企業の顔色を伺うのではなく、「学生が自分の力が最も発揮できる企業を選ぶ機会」となることに近づくのではないでしょうか。鈴木会長は「"アメリカンドリーム"とは、本来は、誰もが平等の機会を得てその能力を存分に発揮し、新たな価値提供を通して社会的評価を得ること」と述べていますが、ドリームとは言わずとも、自身の提供価値について若い時から考える術を身に付けておかないと、会社組織から離れた場合、退職した時に不安とストレスが非常に増加する≒健康寿命長く生きていけない恐れがあるのではないかと危惧する次第です。であるならば、その訓練をする、あるいはその学びの機会、感動の機会をたくさん味わえるのが大学教育の醍醐味である、と設定し直したほうが、日本社会全体にとって好影響を生み出すものであり、大学の存在意義、経営そのものをサステナブルなものにするのではないでしょうか。

 続いて医療立国について、これは筆者は鈴木会長が昭和女子大学の理事をされていた当時の御挨拶文を読んだ時に衝撃を受けた考え方であります。是非、直に本を取って読んでいただきたい内容であります。

 さらに、「理念を世界に向かって高く掲げ、そのもとに志をともにする多様な人々を結集させること」が重要であると鈴木会長は述べていますが、まさに多様な人が集い、それぞれ個の強みを伸ばしていけるメニュー、環境が準備されているのが大学であるべきではないかと思料する次第です。

 おわりに
 鈴木会長は、著書の最後で「今の社会や将来に対する根拠のない安心感、納得感のようなものが、特に若い人の中に広がっていることに、大きな危機感を抱いている」と述べ、このことが経済的にだけでなく精神的にも日本が世界から取り残されて貧しい国となってしまうと危惧しており、「日本という殻を破れば、そこんは生涯忘れられない出会いがきっとある」と語っておられます。そして若い頃から大切にしている言葉として「Life without the challenge and experience is not worth living(経験とチャレンジなき人生は生きるに値しない-イギリスの哲学者バートランド・ラッセルによる-)を挙げ、「夢は実現しようがしまいが大きいほどいい」と述べています。何より筆者が驚嘆したのは、最後の一文を「これからチャレンジを続けていきます」で締めていることです。筆者は最後の一文から身体に電流が走ったくらい心が震えたと同時に、生きるエネルギーを得た心持ちがいたしました。

筆者もこれからも失敗を恐れず実践を積み重ねて、チャレンジを続けて生き抜きます。(*失敗ばっかりしていても責めないようにw 少なくとも本文中の50歳時点での成功と指摘されている事象は成し遂げておく所存です( ̄▽ ̄;))

追伸:「多様性が日本を変える」には、特別対談1:坂東眞理子氏(昭和女子大学理事長・総長)×鈴木雄二氏及び特別対談2:広中平祐氏(京都大学名誉教授・ハーバード大学名誉教授)×鈴木雄二氏が収蔵されており、必読の内容です。

註:冒頭図表の財務数値出所については以下の通り。
慶應義塾公開財務状況 2020年度決算 資金収支計算書 https://www.keio.ac.jp/ja/about/assets/data/2020-finance-doc.pdf
早稲田大学公開財務状況 2020年度決算概要 https://www.waseda.jp/top/assets/uploads/2021/05/01_zaimu-gaiyou20.pdf
明治大学公式HP 『明治大学の財政状況』, https://www.meiji.ac.jp/zaimu/2020settlement.html,2020年度
各大学事業予算は2021年度事業活動収支予算書による。

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