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あれだけ死にたいとおもっていたのに

初めて診療内科にかかったのは、高校1年生の頃だった。いじめられてもない、少ないけど友達もいる、だけど学校に行くのが憂鬱だった。

毎日ベッドにこもり、音楽を聴いたり動画を見たりしながら1日が終わるのを待つ。

生きる事に希望なんて見出せなかった。田舎で娯楽も少ない。楽しいことと言えば唯一の趣味、ビジュアル系のライブに行くことだった。
大好きで、憧れで、尊敬しているボーカルがいる。その人の声を聞いて全日制の高校をやめるまでの2年ほどを過ごした。コロナや社会人になった事が原因で、昔ほどの熱はないけれど今でも思い出しては曲を聴き、この人の歌がすきだなと実感する。

話が逸れてしまったけれど、高校時代、私は適応障害と診断されていた。学校に行きたくなかった。勉強はすごくできるわけじゃないけどできないわけじゃない。友達もいた。たまに学校にいけば声をかけてくれる人もいた。学校は私が通学できるように融通をきかせてくれた。
でも、どうしても行きたくなかった。理由は分からない。
ひとつだけ原因をひっぱり出してくるとしたら、男子バスケ部のマネージャーをしていたら、あることないこと言われ、女の先輩と同じクラスの子も一緒になって私の事を袋叩きにしたことかな。

いま思えば、ほんとうはただの怠惰だと思う。親には申し訳ないと思っている。

そこから私は高校中退し、定時制の高校に入学した。1年生からやり直した。
定時制とはいえど、通常4年で卒業するところを3年で卒業するために全日制の頃と同じようなスケジュールで学校に通っていた。一度挫折しかけたけど、なんとか持ち直して、無事に卒業した。

私の通う定時制高校は、髪色、メイク、服装自由、バイトもOKだった。
全日制に在籍していた頃には制限されていた自分のやりたい事ができるようになった。バイトも始め、

"世界が学校だけじゃなくなった"

結果的に私は高校中退を選び、定時制を卒業したことは、私にとっては正解だったと思う。
定時制高校にいる間にやりたい事を見つけ、卒業後、芸能の道に進んだ。初めて自分の意思で、どうしてもこれがやりたいんだ、と貫いた。

上京し、新しい生活が始まり、毎日が新鮮だった。

この頃から私はもう死にたいと思わなくなった。
少ないながらもファンがつき、死ねないな、と思うようになり、いつからかは忘れてしまったけど、「生きたい」に変わった。

今は芸能の道は諦め、ただのアパレル店員だけれど、変わらず「生きたい」と思っている。
毎日時間が足りないくらいだ。やりたい事がたくさんあるんだ。楽器を弾きたい。勉強がしたい。彼氏と一緒に住む家探しをしたい。脱毛したい。ヒアルロン酸いれたい。すぐに老けておばあちゃんになっちゃうよ。せめて可愛らしいおばあちゃんになりたいよ。

今は死ぬ事の方が怖い。死んだらもう思考すらできなくなってしまうのだろうか。死後の世界はどんな景色なんだろうか。

でも、死んでも今の彼と永遠に一緒に居られるなら死ぬのは怖くない。
ずっと、一緒にいたいから私は彼を大切にしたい。いつも私が幸せをもらってばかりなんです。何もできない彼女でごめんね。頑張るからね。

今日仕事から帰ったら置き手紙と共にプレゼントが置いてあった。私は明日も生きる。生きて、私の精一杯を彼にあげる。

Tシャツとお味噌汁とお手紙

これも、生きているから、生きる選択をしたから引き起こした幸せだ。

わたしの勝ちだ✌️

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