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優しい言葉だけが優しさじゃないと知った、4年前のこと

「なんでこんなのもわからないんですか?」

研究室に響く先輩の声。

ぎゅっと唇を噛んで、耐えていた。

修士1年目の6月。研究室の割り当てが公表された。

いつも”研究室”と書いてしまっているけれど、実はただの自習室のようなところ。
自分の机と棚が割り当てられている部屋のことを研究室と呼んでいる。

当時、研究室に”常駐”しているのは4人。先輩二人と、同期と私。他の研究室は会話すらろくにないという中、雰囲気も仲も良い研究室に運よく恵まれた。
私以外みんな男ではあったけれど、毎日夕食を一緒に食べたり、お菓子を食べたりおしゃべりしたりして、楽しく過ごさせてもらっていた。

けれど。
勉強のこととなると一変して、先輩は厳しかった。特にひとりの先輩は、寡黙で、でもものすごくスパルタだった。質問のたび、キツいことを言われた。

「なんでこんなのもわからないんですか?」
「大学時代に何やってきたんですか?」
「そんなんで進学できると思ってるんですか?」

私の属する大学の経済学研究科は、欧米と同じように、コースワーク制度というものがある。
博士課程に進学したければ、コア科目と呼ばれる科目(基本はミクロ経済学、マクロ経済学、計量経済学)を取り、よい成績をおさめないといけない。細かな条件はややこしいけれど、だいたいどれもB以上の成績をとっていないと、進学はできない。
さらには、進学のための筆記試験もある。先生によってはさらに条件がつくこともある。

成績が良くなければ、研究者という職業につくための切符すらもらえない。

コア科目で習う事柄は、難しくても、これからの研究生活の基本となる大事な事柄だ。基本が十分に身についていないと、のちのち困るのは学生。”条件”という形で基準をもうけているのは、すごく親切なのではないか、と今では思う。

コア科目を受講する学生の中には、やすやすと”切符”を手にしていく人たちもいる。コア科目で優秀な成績をおさめながらも、就職していく人もいる。
一方で、博士課程進学志望でありながら、このコア科目の壁に苦労する人も結構いる。そうしてその多くは、入学して半年後には就職志望へと変わっていく。

私は、間違いなく、コア科目に苦労した側の人間だった。

基礎の基礎である数学の知識が足りていなかった。おまけに、ものを深く考える姿勢も、論理性も持ち合わせていなかった。

それなのに、意気揚々とミクロ経済学の講義に出席して、まあ焦った。全く意味がわからなかった。

先生が黒板に、なにやら顔文字で見る記号をつらつら書き始め、(∃∀・)の口と目を覆う手は数学記号なんだと、初めて知った。

授業で仲良くなった友達は、普通に理解して、授業について行けていた。
みんな、当然に勉強してきているはずの”集合論”(数学の中のひとつ)から、私はわからなかった。というより、”集合論”って単語すら、知らなかった。

出身大学は私立大学で、数学をそこまで要求されてこなかった。大学院入試を通過できたとはいえ、ただ解き方を覚えていただけだった。経済学の言語のひとつである数学を、全く理解していなかった。

このレベルの人が、コア科目を受講して、博士進学を目指す。
いまならよくわかる。絶望的だ。

でも当時は、心のどこかに「まあでもなんとかなるでしょう」の気持ちがあった。無知すぎて、ここからキャッチアップすることがどれだけ大変なのか、わかっていなかった。

”絶望的だ”ということを、当時の私にちゃんとわからせてくれたのは、あのキツい先輩だった。

「あなたより数段優秀で、学部時代に努力もしてきた人たちが一層の努力を重ねてAを取りに来るんです。その中で、あなたはBであっても取れると思ってるんですか?」

こんなことを言うなんて、ひどい先輩だろうか。
ううん、違う。絶対に違う。

先輩は、決して優しい慰めは言わない。でも、ただひたすらド直球に、「お前はやばい」と教えてくれた。

先輩は”諦めで優しく”なんてしなかった。「ああこいつはどうせ無理だから、適当に相手しておこう」なんてことをしなかった。都合の良い優しさなんて、一切使わなかった。
こっちが毎日トイレでこっそり泣いていると知っても、ただただ、真っ直ぐにド直球に伝え続けてくれた。私が自分のやばさを認識して、理解して、それと向き合うまで、言い続けてくれた。

その上で、いつだってちゃんと力になってくれた。
私が帰るまではどれだけ遅くても、絶対に研究室にいて見守ってくれていた。
私の質問が的確だったら、その都度びっくりするほどわかりやすく教えてくれたし、鮮やかに証明を見せてくれたりした。クソみたいな質問を投げたら、素直に「クソですね」と言い、なにがクソかまで説明してくれた。

呆れ半分でも口調がきつくても、ちゃんと言葉に出して指摘してくれたから、いまの私がある。
あそこまでのキツさがなければ、馬鹿な私はわからなかった。なんだかんだで都合の良い「まあなんとかなるさ」の気持ちを残したままそこそこに勉強して、きっと結果は散々だったろう。

だから、あのキツさは、確かに優しさだった。
”進学して、研究者になる”という私の望みを叶えるための、厳しい優しさだ。

そう思っているし、当時の私もそう信じていた。決して口だけで面倒を見ないような人じゃなかったから、信頼すると決めて、ついていった。

キツい言葉を投げかけられ続けて、約1年経った修士1年目の2月。
コア科目のうちの1科目のテストが返却された。キツい先輩にいの一番に見せに行った。

先輩は、笑って、一言だけくれた。

「頑張りましたね」

他の科目も、ひいひい言いながら修士2年目で取得し、なんとか成績要件をクリアして、先輩方や指導教官に大いに助けられながら修士論文を書いて、進学した。一方の先輩は留学しに海外へと飛び立っていった。

「進学したらまた別の大変さが待っていますよ」

そう笑った先輩の言葉を噛みしめながら、日々を過ごして早3年。

いまの私は、あの先輩に怒られない水準まで達せているだろうか。
「なにやってんですか」って言われないだろうか。「ちょっとは成長しましたね」なんて笑ってもらえたりするだろうか。「まだまだですね」なんて呆れ顔で言われちゃうんだろうか。

次に会う時は、ちょっとでも業績あげて、立派な姿を見せたい。

そうしてついでに、「先輩の指導はほんとにためになったけど、でも就職して教授になったときにそっくり同じ指導しちゃ、危ないですよ」なんて笑って一言いっておきたいなあ、とも思っている。


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