ゴールはまだ見えないけれど
僕らはどこへ向かうの
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形のないものばかり欲しがって 寂しくなった
日常を追うのが精一杯で
ここに咲く花 見落としてた
4年前の2015年冬。大学3年生だった私は、少し早く就職活動を始めていた。
明確な志望業界を持ち、インターンや説明会に参加し、エントリーシートを書いて企業へと送った。
「これでいいのだろうか」「本当にここでいいのだろうか」
周囲にはやりたいことが明確にあるような顔をしていたにもかかわらず、心の中には不安と、得体の知れない疑問感がこびりついていた。
”自分のやりたいことや理想に向かって生きている”
そんな人でありたくて、怠惰にただ日々を過ごすだけの人にはなりたくなくて。
誰が見てもカッコいい人でありたいと、不安も大人になっていくことへの戸惑いも見せずに、平気な顔して浅い浅い理想を語っていた。
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自分らしさにこだわり過ぎるほど 小さくなった
幼い頃見た夢の話いまも
心の奥にしまってある
そうして、2年後の2017年。紆余曲折を経て経済学を学ぶ大学院生として私は過ごしていた。
授業に全然ついていけず、毎日研究室近くのトイレで声を殺して泣いていた。
それでも自分で選んだ道だから、後悔して嘆いてなどいられなかった。
けれど。
「この私が、授業にさえついていけないできない私が、経済学をやる意味はなんだ」という疑問は頭から離れなかった。
優秀じゃない人間が研究者を目指していいのか、私という資源がこの道で無駄なくいかされるのか、私という人間がこの道を選んだせいで何か不利益を被った人がいるのではないか、いまとなっては考えてもしょうもないことを延々気にしていた。
「いつまでこんな私でいるのだろう」「私はこんなんじゃないのに」「もっとカッコよくありたいのに」
大学生の頃はうまく繕えていたうわべを剥がされて、”できない私””思考の浅い私”が露呈して、途方にくれていた。
*
未来の僕にいま逢えるのならば 尋ねたいんだ
流れる空 目の前につづいてる
この道は ねぇ 正しいよね
あれからさらに2年が経った。2019年のいま、私は博士課程の学生として、相変わらず経済学を学んでいる。
相変わらず能力に関する自信はない。けれど、「私なんかがやっていていいのかな」と思うことはなくなった。4年前のように、自分の理想を無理に掲げて、カッコよくあろうともがくこともなくなった。
悩んだり、葛藤したり、落ち込んだりもする。凹んで泣くことも、たくさんある。
けれど、最後には必ず前は向ける。泣いた後は必ず笑える。できなかったことはいつか必ずできるようになる。時間はかかるかもしれないけれど。
そんな自信だけは、確かについたと思っている。
僕らは旅の途中で 何度もジャンプ繰り返し
「ここにいるよ」って叫んでいる
転んでもなお這い上がり歩き出す
ゴールはまだ見えないけれど
*
”人類全体へのおせっかい”
そんな気持ちで、経済学の研究者を目指している。これはもう、無理にカッコつけた理想なんかじゃない。私の、心からの気持ちだ。私という人間の気質からきた、ゆるぎないもの。
そんな気持ちを抱きながらも、まだまだできないこと、わからないことばかりで、一人前には程遠い。遠回りしてばかりで、悲しくなるときも多い。
でも、たとえあとで振り返ったときに遠回りに感じても、私には必要だった道ばかりなのだろう。
だから、一歩一歩、時間はかかっても歩き続けるのだ。
*
このnoteというものに、そんな記録も記していけたらな、なんて思っています。
2019年の8月にnoteを始めて、4ヶ月。(ほぼ)毎日更新するようになったのはここ2ヶ月ほどだけれど、たくさんの素敵な方々、刺激的な文章に出会えました。
2020年も、きっとたくさんの素敵に出会えるのでしょう。とても楽しみです。
そして、各々、自分だけのかけがえのない道を、一歩一歩楽しんで歩いていけたら。そうしてその軌跡をnoteに記していただけたら。こんなに”スキ”なことはないなあ、なんて、そんなおせっかいじみた願いを抱いています。
それでは、2019年お世話になりました。良いお年をお迎えくださいませ。
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僕らの旅はつづくよ いつか交わした約束を
胸のポケットにしまいながら
無謀な時間をこえて たどり着け
強さも弱さも抱きしめて
引用部分:Buono! 『ゴール』より抜粋
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