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ナゼナニに生きる

「これ、なーに?」

午後3時過ぎ。研究室の自分の席で作業をしていた彼が、こちらにやってくる。
集中力が切れるのか、この時間になると決まって彼は私の机の方にやってきて、ナゼナニ星人と化す。

私のパソコンをのぞいては、「このアプリなーに?」「なんの記事読んでるの?」
作ったグラフをチェックしていると、「これなんのグラフ?」「なんでこうしたの?」


子供には”なぜなぜ期”というものがあるらしい。
この人はさながら、その”なぜなぜ期”のまま時が止まってしまったかのよう。

あくなき好奇心と探究心を持つ彼は、なるほど、研究者らしい。

今日は、私が読んでいた論文の、ある数式を指差して「これ、なーに」。

「ああ、あんたの分野だと見かけないやつかもね」

一通り、「なーに」に対する説明をする。ついでに、この後に聞かれるであろう「なんでこんな式が入っているか」まで、先回りして説明する。

しばしの間。
からの、「なんでこんな式いれているの?」

あれ、通じなかったか。
もう一度、より丁寧に、同じ説明をする。

「うーん」と唸り声。
「わかった?」と聞くと渋い顔。

「やっぱりなんでこんなことしているの?」

彼と私は、同じ経済学の大学院生だ。おまけに、彼のゼミに、私は副ゼミとして参加している。「同じ分野」と言っても間違いじゃない。

けれど、もう少し細かく見た”研究内容”は違う。興味のあることも違うし、取り組んでいる問題も違う。この違いをもって、「異なる分野」と言えたりもする。

近くて、でも異なる分野にいる彼は、私のいる分野での「当たり前」が通じない。

同じゼミにいるほど、近い世界であるはずなのに、全然通じない。

「なーに、これ」と無邪気に聞かれ、はたと「当たり前が当たり前でないこと」に気づくのだ。

「じゃあ、なんで、『なんでこんなことしているんだろう』って思うの?」

今度は私がナゼナニ星人と化した。

彼が答える。よくわからなくて、「なーに、それ」。

また彼が答える。やっぱりよくわからなくて、「どういうこと、それ」。

みたび彼が説明し、ようやく言っていることがわかった。

「ああ、そういうことね。」彼の言っていることも、質問の意図もよくわかった。

「で、じゃあなんでこの式が入っているんだろうね」
しまいには、ついさっきまで当然に思っていたことを、私まで不思議がっていた。

「当たり前」「常識」「普通」
そんな言葉たちは、ときに、とても狭い世界でしか成り立たない。

そんなこと、わかっているはずなのに、ついつい「当たり前のことの、当たり前じゃなさ」に無自覚になってしまったりする。考えを止めてしまっていたりする。


ひとりで逐一気付いて、修正できたらすばらしい。けれど、それはなかなか難しい。


でも、こうやって、「これ、なーに」と何の気なしに言ってくれる人がいれば、一人では気づけなかったことにも気づくことができる。

「それどういうこと?」と、相手の言っていることをしっかり理解できるまで聞き返すことができれば、見えていなかったことが見えてきたりする。


狭い狭い世界でしか成り立たない「当たり前」を抱きながらも、臆せずに、広い広い世界にいるたくさんの人々とお話をすること。

そんなことが大事なのだなあ、と思いながら、今日も楽しく恋人のナゼナニに付き合うのだった。


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