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自分の手で、考える
「こうやってね、自分の手を使うことが大事なんだ」
「自分の手で解き続けているとね、いつしか『ああ、これはいけそう』『これはだめだ』って感覚でわかるようになってくるんだよ」
私の指導教官は、今年50歳と、一般的な”教授”の中では若い方だ。
でも、研究に対する姿勢には、ちょっと古風な一面がある。
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先生は、なるべくパソコンに頼らず、自分の手で計算を進めようとする。
私の分野だと、モデル(理論のようなもの)は数式を用いて表される。
1つのモデルにつき、最終的には何十もの式を持った複雑な連立方程式を解かなきゃいけない。それはさすがに人の手では無理だから、機械(パソコン)に代わりに解いてもらう。
けれど、その方程式をパソコンに解いてもらう前に必要な計算は、「自分の手で行うように」と、先生より指導されている。
いまの時代、もうその前処理だってパソコンをポチポチするだけでできてしまう。にもかかわらず、聞くと先生も未だに自分の手で処理し続けているという。
(先生はパソコンもプログラミングにもめっぽう強いので、パソコンスキルがないせいでは決してない)
第一の理由は、パソコンで前処理をやると誤差が出てしまうからという、技術的にもっともな理由。
第二の理由が、手で解くことでしかわからないことがあるからという、ちょっと古風ともいえる理由だ。
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「頭で覚えるんじゃないんだよ。身体で覚えるんだよ」
高校の文化祭で、クラスの出し物の一つとしてダンスをすることになった際のこと。
「次がこうで、ああで…… だめだ。全然覚えられないよ」と泣きついてくる友人に、私が言った何気ない一言だ。
中学校3年生までの約10年間、モダンバレエを習っていた。(習っていたくせに、モダンバレエって何?って聞かれると、わからなくて困ってしまう。なんでもありな自由度高めのダンス、というイメージしか持っていない)
もちろん新しい振り付けを覚える一番最初は、先生のお手本を見て「こうでああで」と考えながら真似しているふしもある。でも、だいたいは、何も考えずに踊っている。考えるとしたら「もっとこうしよう」などの改良点についてか、何かを表現するための感情づくりについてくらいだ。
振り付けは、身体が覚えている。ときに泣きながら、歯をくいしばりながら稽古した振り付けは、本番が終わってどれだけの時間が経っても、身体が覚えている。
モダンバレエの教室をやめて早10年以上が経ち、すっかり硬くなってしまった身体であっても、街中でかつて踊ったことのある曲がかかると踊り出しそうになる。(こらえて、手だけで踊っている)
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だから、指導教官の言っている「自分の手で解く大事さ」は、なんとなくわかる。
もちろんいまのひよっこな私は、手でゴリゴリ解いていても、これといって特別な感覚はない。本音を言うと、まあ面倒だ。計算ミスもしょっちゅうして、自分の集中力のなさに落ち込む。
1つのモデル(数学の問題をイメージしてくれるとわかりやすいかもしれない)をパソコンに解いてもらうまで、A4レポート用紙10枚分の計算が必要で。
計算ミスをすると結果がすべて変わってしまうので、それを5回は解いている。
今後、より複雑なモデルになっていくにつれ、計算の量はもっともっと増えていく。ちょっと、いや、大きく、げんなりする。
「ああ、これはいけるぞ」なんていう感覚がわくのは、長年の経験の賜物なのだろう。なんだか職人みたいだ。
この大きなげんなりを乗り越えた先で、そんな職人的境地に至れるのかもしれない。
そう思うと少しだけ、そんな境地に行ってみたいとわくわくするから。
私は今日も自分の手で、一つ一つ計算を進めている。
(でもたまーに、「パソコンの勉強」と称して、さぼってパソコン使っちゃうのは、内緒ね)
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