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きっとこういうもやもやを抱えながら、何かになっていくのだろう

どうやら風邪をひいたようだ。

頭が重く、喉も痛い。朝方は微熱まであったので、大人しく昼過ぎまで布団の中でうとうとしていた。

こんなとき、”やらなきゃ病”がいつもより頻繁に顔をだす。

”やらなきゃ病”とは
私こと、あさぎが勝手に命名した病。やらなきゃいけないことがたくさんあるときに、「やらなきゃやらなきゃ」と過剰に焦ってしまい、注意力散漫になったり、中途半端に手をつけてかえって混乱の元になったりすること。その結果、焦れば焦るほどやる気をなくしていき、さらなる「やらなきゃ」につながっていく。負のスパイラルのこと。

体調の如何にかかわらず、だいたい3日に一度は、このやらなきゃ病に苛まれている。

(”やらなきゃ病”発病中の文章だ。note用にカッコよくまとめているけれど、こんなカッコよくまとめてすんなり集中力が戻ってきていたら苦労なんてないさ。)


同じ分野の研究をしている3つ上の恋人を思い返す。
1年かかると言われた作業を4時間で終わらせただの、研究分野で不可能と言われていたものをシンプルなアイデアで可能にしてしまっただの、習ったことのないピアノが弾けるだのなんだのと、数多の天才的エピソードを持つ彼のことを思い出しては、劣等感を抱いてしまう。


「なんで人と比べるのさ」

何十回、何百回と言われた恋人のセリフがこだまする。


「いつまでも大学院にいてもしょうがないから、さっさと学位とった方がいいよ」

年が幾分近い、若い先生方からの言葉が脳内に響く。


「あさぎさんはゆっくりだけど、着実に成長しているよ」

指導教官からのあたたかい言葉を思い返す。

「なるべく早くできるようになった方がいいけど、でも焦らないことだよ」

「どんな論文でも疑うことが大事なんだ。こいつら間違ってるんじゃないのって疑って、確かめてみるんだ」

「で、だいたいは、”あちゃー、こいつらやっぱり正しかったわ”って頭抱えるんだけどね」

そう言って笑った指導教官は、どこまでも優しい顔をしていたのだった。


ゆっくりで、いいのだろうか。

私よりも何十倍も早く、確実な成果をあげる人がいるのに、私がやる意味はなんだろうか。

こんな私が、やっていていいのだろうか。


「資源は有限なんだ。その限りある資源をどう分配したらいいのかを、僕らは学問として学んでる」

「限りある資源が、僕にも、あさぎさんにも行っている。僕はね、自分よりもっと、この資源を持つにふさわしい人がいるんじゃないかと、しょっちゅう思うんだ」

「でも、僕のところにきた。その意味を、よくよく考えて、行動しなきゃいけない」

きっと留学先で元気にしているであろう、先輩が言っていた。


「そんなものわからないから、ほんのちょっとでも人より優れたところがどこかにはあると信じて、やるしかなくないですか」

「別にいいじゃないですか。博士進学の基準みたしてここにいるんだから、研究する資格なんて気にしなくたって」

同期の言葉も思い出す。


ああ、私は、あたたかい人たちに囲まれてきたのだと、思う。

ぐるぐるまわる自分への問いの答えはなかなかでない。

”やらなきゃ病”にもかかったままだ。どうしよう、やらなきゃ、の思考からはなかなか抜けられない。

カッコよくこのnote締めることは簡単だ。でも、実際の私は、いくらカッコよくnoteを締めたって、なんにも変わっていやしない。

それでも、文章をつらつら書いていたら、かけてもらったあたたかい言葉たちを、たくさんたくさん、思い返すことができた。

あたたかい言葉を思い出して、ほんのちょっとだけだけれど、心は軽くなったような気がする。ほんのちょっとだけなんだけどね。結局、やらなきゃいけないことができない限りは、落ち着かないのが私だから。

つらつら書いて、幾分浄化されることもあるのだなあなんて、ぼんやり思った。

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