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小説を読むの、諦めました

小説読んでる人って、かっこいいよね。
なんか知的に見えるし、お洒落。

かくいう私も10年くらい前までは、本といえば小説だった。
小学生から大学2年生くらいまでは、たくさんの小説を読んでいた。
特に高校生の頃は学校に馴染めず不登校気味だったから、学校に行けた日は高校の最寄り駅近くの本屋で文庫本を買うのをご褒美みたいにしていた。

大学生2年の時まで続いた習慣は、翌年の就活でばらばらに砕け散った。
いわゆる“就活うつ”になり、活字が読めなくなったのだ。
なんとか文を読もうとすると字が滑る滑る……。
文字が頭に入ってこない、何が書いてあるのか理解できない。

時は経ち、私のうつは就活と無関係になった今でも治っていない。
ただ、3,4年くらい前から徐々に活字が頭に入るようにはなってきた。
最初は字が大きくてページ数の少ない自己啓発本を読んでみた。
すると意外と読めることに気が付いた。
それから時間をかけて、もう少し字が小さい自己啓発本や軽めのエッセイ、興味のある分野の実用書を読んでいった。

そろそろ。
そろそろ小説が読めるのではないか?
最近はそんなふうに考えるようになった。
ページ数の多いエッセイも読み切ったことだし、いける気がする!

結果。
だめだった……。

どうしても話が頭に入ってこない。
加えて、軽い日常小説を選んだのに主人公が少し傷ついたり嫌な思いをするだけで感情移入し、憂鬱になってしまうのだ。
10年前までは過激なストーリーでもそこまで気分を揺らされずさっと読めていたのに。
他人(小説の中の人)がつらいとつられてつらくなってしまう。

選んだ小説がたまたま自分と相性が悪かっただけかな、と思い何冊か挑戦してみた。
でも、どの本も読めなかった。

私はこの10年で繊細に、というか過敏になってしまったらしい。
小説の世界に入り込むことができなくなった。
それでも小説の楽しさは過去の自分がよく知っているし、小説が身近にある生活っていいなとも思う。
しかし無理して小説を買ったり図書館で借りたりして読もうとするのは、やめた。
無理やり読んでも苦しみしか感じない。
読まなきゃと思うと頭の中でずっとそれが離れず、ストレスになってしまう。

小説を読むのは諦めました。
私はもうしばらく小説以外の本を読みます。

趣味関係の実用書や軽いエッセイなんかを読める時に読んでいこう。
そもそも本なんて、読んでも読まなくても誰にも怒られないし死にはしないし。
本を読まなきゃと自分を追い込んで精神が死んでいくのは馬鹿馬鹿しいもんね。

5年後とか10年後とか、いつか小説が読める日がくるまでは、のんびり、できそうなことだけしていこう。

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