子宮に沈めるを観て児童虐待について考える。

前々から母親として、公認心理士を目指すものとしてずっと気になっていた『子宮に沈める』を観た。

「大阪二児餓死事件」を元とした映画である。

三歳の娘とニ歳になる前の息子を猛暑の家の中に二ヶ月近く放置して母親は死体遺棄の容疑で逮捕される。

覚悟はしていたが、長女目線で淡々と進んでいく映像がとにかく観ていて苦しくなる。場面が展開されていくことに恐怖を感じる。児童虐待について触れる大学のレポート課題がなかったら観ることは出来なかった作品だった。

たくさんのレビューにも書かれている通り「二度とは観たくない。けれど一度は観ないといけない映画」だと思う。


映画を観てから私は、毎日何度かその映画のことを思い出してはどうしようもない感情に押しつぶされそうになる。どうすれば子供たちは救われたのか。今、私がこうやって文字を打っている間にもそんな悲惨な事件が起ころうとしているのではないか。



子育てって思っていたよりも過酷で、孤独で、とにかく辛いことが多い。

私には幸い、サポートしてくれる夫や実家、義母、友人がいる。それでも平日の昼間、イヤイヤ期の娘と家に二人きりだととてもしんどくなることがある。

朝、まだ眠たい身体を娘に無理やり起こされる時。ご飯やトイレにさえ自分のタイミングで食べれない時行けない時。頑張って作った料理を残され、吐き出された時。外で泣かれながら暴れられ、周囲から冷たい視線を向けられた時。夜泣きがひどく寝不足が続く時。私は奴隷か何かだったのかと感じる時がある。

久々に鏡を見ると、そこにはしばらく美容院にも行けず、化粧なんぞする時間もなく、目の下にはクマが張り付いている、そんな自分がいる。インスタを開けば同年代の友人たちが綺麗に着飾って夜通し遊んでいる。


母親ってどのくらい「女」でいればいいんだろう。

母親になって「女」を捨てたことにが離婚理由になることだってある。かといって、「女」をとってしまうと先ほど紹介した映画の結末にもなりかねる。


虐待事件が起こるとネットでは「親も亡くなった子供と同じ目に遭わせるべきだ」「罪が軽すぎる。死刑にすべきだ」なんて言葉がたくさん並ぶ。


「大阪二児餓死事件」の母親は懲役30年の実刑判決となったようだ。

だけど、それを見た私は正直判決なんてどうでもいいもののように感じた。

罪が重かろうが軽かろうが亡くなってしまった子供達が帰ってくる事はないし、何よりも子供を失ってしまった、母親にそうさせてしまった環境に一番やるせなさを感じたからだ。

残虐な事件を聞いて他人が怒るのも分かる。

でも私は、もし加害者である母親と同じように決していいとは言えない家庭環境で育ち、誰にも頼れない状況で孤独の中、小さい子供を二人抱えて生きていく自信は無い。

母親を変えてしまったのはやはり全てを捨ててしまいたいと思わせるような環境があったからではないのか。




私は今日も寝る前に映画の事を考えて、枕を濡らしながら、どうすればまだ親が全ての幼い子供たちをみんな大人にしてあげられるかについて考えるだろう。

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