ヨシタケシンスケさんの『もしものせかい』を読んで

おうち時間の週末、まとめ買いしたヨシタケシンスケさんの近著を順調に読んでいます。
昨日は、『もしものせかい』を読破。

読破と言っても絵本なので、大人であれば読むこと自体にそれほどの労力はかかりません。

ただ、、、
いつも、ヨシタケさんの作品には、絵本以前のイラスト作品も含めて「わかる~」とか「おもしろい」と諸手を挙げて共感したり気に入ったりしてきた私が、今回は読み終わって「う~ん。。。」となってしまいました。
「むつかしい」と。

もちろん文章の意味は理解できるんだけど、ヨシタケさんの意図するところというか、どうやってこの物語を受け取って良いのかが、「むつかしく」って、わかったようなわからないようなモヤモヤが残ったんです。
不安のドキドキやソワソワみたいなものも感じました。
どこか落ち着かない気分で、だからずっと心の隅っこで気になっていたんでしょうね、今まで。

今急に、このモヤモヤを手帳に書き出していたらふっとわかったことがありました。
「あ、もしかしたらこれは、ヨシタケさんの感じた喪失感や悲しみが、私の中に流れ込んできてるのかも!」と。
この本を購入する前に見つけていたヨシタケさんのインタビュー記事も、本を読み終えてから読んだんですが、『もしものせかい』は、ヨシタケさん自身の〝楽しみにしていた未来を失って落ち込んだ気持ち〟から生まれたお話だったようなので、その気持ちが詰まっているとしても不思議ではありません。

単なる1つの解釈だけど、この思い付きがすごく腑に落ちました。
そして、ここまで感情を作品に込められるヨシタケさんを改めてすごいと思ったし、インタビューのタイトルにある通り、ヨシタケさん作品の新境地的作品だなとも思いました。

それで気持ちが落ち着いてきて、物語を反芻しながら自分の感じたことも、整理できてきました。
この手の悲しみや喪失感は、私自身も過去に経験したことがあります。でも今、この物語を読んでもそれが蒸し返されるような感覚は起こりませんでした。
過去には「もしもあの時、ああしていれば…」と思ったことも少なくないし、その時の思いもけっこう鮮明に記憶に残っています。けど、今それを思い出しても「もういいや」という感じなのです(笑)。あの頃に戻りたいと思うこともありません。
それはつまり、その頃の経験も味わった思いも、消化(消火?)して、昇華して、乗り越えられているということかなと、少し嬉しく思います。

そうやって、この本とポジティブな気持ちで向き合えるようになってきたら、ようやくヨシタケさんの描きたかったことが見えてきました(と言っても、これも私の解釈です)

※ちょっとネタバレ含みます。

ヨシタケさんは、
何かを失った瞬間、その何かは〝もしものせかい〟に行ってしまう、
すると、もしものせかいの方が大きくなり、今の自分がいる世界は小さくしぼんでしまうと表現しています。
でもまた、今の世界も少しずつ膨らんで大きくなる、と続けます。

昨日はよくわからなかったこの部分が、今日は(自分なりに)わかりました。

何かを失ったり、〝もう手に入らない(あるいは戻ってこない)〟ということがはっきりしたとき、今やその先に望みがないような気分になる。
でも、下を向きながらでも、ペースが遅くても、歩んで(生きて)いけば、また望みは少しずつ育ってふくよかになって、今というせかいが望みに満ちたものになっていくということかな、と。
そして今の私は、いつかの失望を乗り越えて、今のせかいを割と大きく育てて来られたということかな、とも思います。

そして、
きっとまたいつか何かを失い、失望した気持ちになる時がくるのだろうけれど、その時もまた立ち直れるから大丈夫。
そんな、いつかくる未来に対する安心感も与えてもらいました。

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