教育は社会のニーズを満たすもの?
教育に関する本や記事、または教育業界で著名な方の言葉の中に、こういうものを頻繁に目にします。
「教育はその時代の社会のニーズに沿った人材を輩出するべきである」
当たり前のことのように色んなところで言われていることです。
つい最近まで、僕も当然のことだと思っていました。
しかし、最近ふとこう思ったのです。
「僕はそんなことのために教育をやっているのか?」と。
いやいや、違うよな。
「社会に求められた人材を輩出する」なんてことのために日々生徒と話し、共に学んでいるわけがない。
そんなの、なんだか気持ち悪い。
当初はこの気持ち悪さを言語化できずにもどかしさだけがあったのですが、
その正体もすぐにわかりました。
「会社と一緒だ。ビジネスと一緒だ。」と気づいたのです。
株を買ってもらったり、出資してもらって、
株主やお客様、消費者のために、社会のために、
それらのニーズに沿った商品やサービスを提供する。
それと同じじゃないか。だから気持ち悪かったのか、と。
学費という出資のもと、学歴や成績、その他社会のニーズ(今で言うとコミュニケーション能力に優れた人材、みたいなふざけたもの)に合った人材、とやらを作り出す。
そんなことをしたいがために、僕は教育の仕事をし、教育で世界を変えようと志しているのだろうか?
いや、違う。断固違う。
僕はただ、関わった生徒、子どもたちに、ハッピーでいてほしいだけだ。
担当した生徒さん、卒業した子どもたちに、今も未来も幸せでいてほしい。
それだけだ。
社会というマーケットに求められた商品を大量生産するために働いているわけじゃない。
でも、お前の言うそのハッピーな状態というのは、
学歴やらコミュニケーション能力やらを身に着けた先にあるものなんじゃないのか?
と言われるかもしれない。
もしその言説が正しいのならば、正論というやつなのだとしたら、
答えるすべを僕は持っていません。
だから僕はその正論をぶっ壊したい。
もし今教育現場で働いている人が、全てとは言わないまでも多くの人が、
もし「教育はサービス業だ」と答えるのならば、
日本の未来は暗い。とても暗いと思います。
最後に明るい方向を向いて締めたかったのですが思い浮かびませんでした。
少なくとも僕は、生徒や子どもたち、親御さんたちを、
「顧客」とも「クライアント」とも思わない。思いたくもないし思えない。
もう少し考えがまとまったらまた再度言及したいテーマですね。
また書きます。
それではまた。
小野トロ
以前の記事のリンクをまとめたものです。良かったら読んでみてください。
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