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鈍感力のススメ

先日、リモートでお話した教員の方が、
「学校教員として生きていくには、『鈍感さ』が必要」
という話をされていました。

学校という特殊な空間ではもちろんそうなのでしょうが、
企業社会の中でも共通したことで、
繊細過ぎるとしんどい思いをすることはどの環境でも言えることかと思います。

自分が周りにどう思われているか
自分の行動が周りにどう影響するか

それを四六時中気にしていてはしんどくなってしまいますよね。

冒頭の教員の方に、

「その『鈍感さ』とは、生来の特性といった類のものなのか、『鈍感力』のように後天的に身に付けるものなのか、どちらですか?」

と質問をしました。

すると答えは「どちらも」だったのですが、
先天的に「鈍感」なまま生き抜ける人はきっと少ないので、どちらかというとやはり、『鈍感力』を身に付けることのほうが大切だというニュアンスのことを仰っていました。

僕もこれには同意見で、
意図した鈍感」を作り出す力は、この社会を生き抜いていく上で必要なスキルだと思います。

僕も実際とても繊細なタイプなので、
「あの人にどう思われているだろうか」
「いつも僕が誘って遊ぶ友達は、誘われたから遊んでくれているだけじゃないのか」
などはしょっちゅう考えてしまうことです。

しかし、そのことでしんどくなる、まではいきません。

それが「鈍感力」だと思います。

周りにどう思われているかわからない

この不安をしんどさに変えないためにはいくつかコツがあります。

まずは、その不安を好奇心に変え、そこに留めておくことです。

どう思われているのかわからない
→「悪く思われていたらどうしよう」
ではなく、

どう思われているかわからない
→「どう思われているんだろうなあ」
というプラスでもマイナスでもない純粋な好奇心に留めておく。

そして次に、結局は人の気持ちなんてわからないと割り切ること。
これは言うは易し行うは難しの典型ですね。

ですがこの考え方を念頭に置いておくことで、
それでも気になっちゃうんだからしかたないよね〜
という良い意味での諦めが生まれ気持ちが楽になる、という作用が期待できます。

そして最後に、行動と気持ちを分けることです。

これはどういうことかと言うと、
気持ちの上では
「やっぱり周りにどう思われてるかわからず不安だ」
でもその不安によって行動は変えない、と心に誓うのです。

「さっきの自分の言動、多分あの人にはよく思われなかっただろうなあ」
となった時に、
その言動を撤回したり、意見を変えたりしない

人の評価や、自分の見え方は気になる。
どうしたって気になる。
それは人の性。
仕方ない。

でもそれに振り回されて、自分の考え方や行動、意見を変えることはしない。

それを自分の信念とし、信念に外れることはしない。

という考え方で生きていく。

生き方に正解なんて無いですが、
少なくとも僕はこの生き方で日々暮らしていて、
とても生きやすいししんどさを感じることは少ないです。

この考え方をすると、
友達はきっと減りますが、
逆に、「どう思われてもいい人」と
多少見られ方を気にする必要がある人
の区別が容易になるし、

誰にでも気を使ってしんどくなる、なんてこともなく、

ここぞというときに人に優しさを振る舞うこともできます。

そして、ある程度自分の見られ方を気にせず自分を突き通し、
見られ方を気にして意見や行動を変えることをやめると、

必ず人に迷惑をかけるタイミングが訪れます。
その時に、去っていく人と、側に残ってくれる人がいるはずです。

その、残ってくれた人と、これからも付き合っていけばいいだけの話なのです。

これが1番楽な生き方だと思って、僕はそうしています。

どうしても、人に迷惑をかけてはいけないブレーキが作用してしまいそうになる時もあります。

けれど、そんな自分も自分、と受け入れられる心のストレージが、

鈍感力』によって存在しているので、
僕はとても『生きやすい』です。

もっとかけられる、かけてもいい迷惑はかけ合える世界になればいいなあと思います。

意図して鈍感になるのはしんどい作業でもあります。
けれど、一度心が慣れてしまえば今の僕のように楽になれます。

あなたも『鈍感力
試してみませんか。


小野トロ


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