人は人を変えることはできない?
他人を変えることはできないから、まずは自分が変わろう。
よく聞く言葉です。
自分に矢印を向ける。
これも似たような言葉ですね。
要するに、人様の考えや生き方を変えることなんてできないから、
まずは自分が変えられることから始めようよ。
と言った主旨の言葉ですよね。
今日はこれを疑ってみます。
以前は僕もこの考えでした。
今でも部分的には賛成です。
他人と比較せずに昨日の自分と比べて努力しよう。
この基本スタンスも変わっていません。
しかし、最近になって
コミュニケーションの場を「環境」として捉え、
コミュニケーション=環境=環境要因になり得る、
つまりは直接的には人を変えることはできないが、
間接的に、「環境」としてその人と関わることによって
人を変えることは可能なのではないか、と考えるに至ったのです。
「人」は自分にとっては自分です。
しかし、「自分」は「他者」にとっては「環境」です。
その人の価値観などに影響を与える社会的要因の一つです。
人の性格や物の見方、価値観や世界観は遺伝と生まれてからの環境要因で形成されていくものですよね。
どちらかではなく、どちらも、ということは科学的にも明らかになっていることです。
遺伝の話は置いておくとして、「環境要因とは何か」と考えた時に、
国や地域、気候条件などの風土が、代表格の1つとして数えられるのはもちろんのこと、
家庭や学校、職場なども環境の1つとして挙げられると思います。
そう考えると、その家庭や学校、職場などというものは、
実際の物理的な「家」や「校舎」「オフィス」を指すのではなく、
その中における「人間関係」を指しますよね。
ということは、その意味での「環境」は、「人」ということになります。
厳密に言うとこの文脈で言うと能動的かつ意図的に「人を変える」と言うよりは
結果的に「変わった」と言うべきかもしれません。
価値観の形成も、そうした知らず知らずの内に成された「刷り込み」によって進んでいくものと思います。
しかし、そうやって自然と、勝手に、生まれてから身を置いた環境=人間関係+αによって人が変わっていくのだとするならば、
「意図的に変える」ことも可能なのでは無いでしょうか。
例えば「普通に」子どもを育てたとしても、周囲の人間の影響を知らないうちに受けながら、「人」は形成されていきます。
しかし、習い事や様々なイベント、ワークショップや子どもの集まりなどに親が子を参加させ、色んな立場や色んな年齢層の人に触れさせることによって、
「意図的に」人を変えることはできるはずです。
ここで注意しておきたいのが先ほども少し触れた
「直接的には人を変えることはできない」
と言うことです。
上の例で言うと
「色んな人と出会って色んな人の話を聞いて色んなものの見方や考え方を身につけなさい」
と言ったところで子どもは何も変わらないでしょう。
それは大人だってきっと同じでしょう。
「新たな環境に放り込まれる」ということによって、
子どもは勝手に学んで勝手に変わっていくのです。
間接的には人を変えることはできる、というのはこういうことです。
直接的に「こうして欲しい」と言うのは、
具体的だし受け取る側には便利な言葉です。
しかし、「洗濯物取り込んで」と頼んでやってくれた夫が、
次の日に自分より早起きして洗濯機を回して洗濯物を干しておいてくれる可能性は、限りなくゼロに近いでしょう。
直接的な働きかけは、その人の行動の根本である考え方を変えるには至らないのです。
あくまで間接的に、その人にとっての環境として接し、
その人が変わるように囲い込んでいく、誘導していくイメージでしょうか。
それはパートナーだけでなく、子どもや生徒、部下や上司もそうでしょう。
本当に他者を変えることはできないのか?
今回の記事はあくまで僕の仮説ですが、
一度みなさんも考えてみてください。
小野トロ
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