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「やりたいことなんてない」と言う生徒に「そんなこと無くてもいいから生きていてくれたらいい」と言えない

教育という世界に身を置いていると、
頻繁に耳にする「やりたいこと」「将来の夢

これって本当に必要でしょうか?

大人が作った世界で、それが無いと生きていけないように錯覚させ、追い込んでいるようにしか、僕には思えないのです。

講師の仕事をしていると、年度初めや年度末、学期初めや学期末などといったいわゆる節目に、

各生徒の「学習計画」や「目標設定シート」を作成したり、
学習状況アンケート」を生徒に記入してもらったり、といったことがあります。

ネーミングは違えど、似たようなものは教育の仕事をされている方はよく見るものだと思います。

計画や目標は生徒本人と講師で話し合いながら、アンケートは本人に記入してもらうのですが、

これらに共通して見られる項目が、

先述の「やりたいこと」「将来の夢」です。

教育の業種によっては、学習面だけにコミットするものもあるでしょうし、こうした生徒のプライベートな部分まで深入りしないという仕事もあるかと思いますが、

先生や講師、学校や教育委員会、地方自治体から文部科学省、
政府の子どもへの姿勢、
そして国全体の「空気」としても、

子どもは大きな夢を持ってそれに向かって努力する

これがとされている。この事実は変わらないとおもいます。

自由で柔軟な発想でやりたいことを探究する

これが子どもの理想とされる。
けれど、子どもたちは大人が集団で子どもたちを嘘で丸め込もうとしていることなんて、とっくに、簡単に見破っています。

子どもたちはそんなにバカじゃない。

自由に大きな夢を持ってやりたいことを?

そんなことが限られた人にしか無理なことは子どもにだってわかります。

自分のやりたいことをやってもそのフィールドで競争に生き残れなければ淘汰される。
やりたいこと=稼げることでなければ生きていけない。

それを子どもたちは薄々感じ取っているのに、
やりたいことは無いの?将来の夢は?
なんて聞かれたら、そりゃあ大人への不信感は強まりますよね。

だから僕はこうした部類の書類を生徒と話し合って記入していく作業がとても嫌いです。

子ども騙しだとわかっていながら仕事としてやらざるを得ない僕と、
子ども騙しで丸め込もうとする大人に呆れ返る生徒。

もちろん結果は、
「やりたいことは?」
「ない」
「将来の夢は?」
「ない」

無い無い尽くしの平行線です。

そしてアンケート。
これも小中学生はめんどくさいので全て同じ物に丸をつけたり、
全て「はい」にしたりする生徒が多いのですが、

驚くべきことに、「将来の夢はありますか?」の欄には、
しっかりと「いいえ」に丸を付ける生徒が圧倒的に多いという現状があります。
あくまで僕が担当した生徒のみですので数十名ですが。

僕はこうしたバカバカしい作業や問答の代わりに、
生徒たちには
やりたいことなんて無くてもいいから、ただ生きていてくれたらいいよ
と言いたい。

けれど、それもまた違った意味で子ども騙しになってしまう。

「ただ生きていく」だけでは生きていけない。

悲しくもそんな世の中だから。

生きているだけでいい。

やりがい生きがいなんてなくてもいい。

断っておきますが僕は夢もやりたいこともありますしやりがいのある仕事で生きがいも感じながら日々幸せに生きています。
とても恵まれているし、なぜ自分が幸運にもこうした生き方ができているのかの理由を、偶然必然含めて説明することができます。

その上で、そんなものなくてもいいはずだし生きていけるはず、夢を追って生きる人もいていいし、生きるために生きる人がいてもいい、そんな世界の方がいいよね、と言っているのです。

やりがいや生きがい、幸福度
そんな指標が取り沙汰され、理想化されるのは、
それが無い人が大多数、という事実があるからです。

そんなものわざわざ数値化したり指標にするなんて、
とても冷たく寂しく悲しい。
そう思いませんか。
僕はそう思います。

ただ生きていてくれたらいいんだよ
と子どもたちに何の衒いもなく言える。

そんな世界にしたいと心から思います。


小野トロ

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