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Mo Chan

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不思議なご縁により、会津の古代史を探る旅が始まりました。 堅苦しくない、自由な発想で、書き進めます。
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#福島

日本海を渡り会津に移り住んだ人々①

■能登半島の気多神社 気多(けた)神社は、大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主神)を祀る。…

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4年前
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【古代会津の「黄金と朱」】②

■金鉱と朱 ところで、金の鉱山には朱がともなうことが多いのだという。 金山の前身は朱の産…

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4年前
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【古代会津の「黄金と朱」】①

■高寺山の財宝伝説 平成30年10月、会津坂下町の高寺山で遺跡の発掘調査が行われた。 高寺山…

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4年前
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猪苗代湖畔で「古代製鉄」を想う②

■大陸僧「青巌」の伝承 仏教公伝の頃に、大陸梁国から「青巌」が会津へ仏教を伝え伽藍も建て…

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4年前
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猪苗代湖畔で「古代製鉄」を想う①

■湊町の須佐乃男神社 福島県、猪苗代湖西岸の湊町。 「須佐乃男(すさのお)神社」は小高い…

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4年前
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『会津の八百比丘尼(やおびくに)伝承~金川寺(きんせんじ)』①

八百比丘尼は、娘の姿のまま老いることなく八百歳まで生存したという伝説の女性だ その長寿の…

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4年前
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火焔型土器とアイヅ縄文文化圏

■父の書棚には、「福島県史」(昭和47年発行)という大型の本があった。 表紙を堂々と飾るのは、柳津町の石生前(いしうまえ)遺跡で発掘された火焔型(かえんがた)土器だ。 縄文中期(約4500年前)の遺物で、土器の上部が炎のように見えることから「火焔型」というが、最初に発見された新潟県長岡市馬高遺跡の名称をとって「馬高式土器」とも呼ばれる。 この時代は1万2千年ほど続く縄文時代のピーク期で、さまざまな遺物が発掘される。 会津で発掘される縄文中期の土器は、新潟や東北南部、関東

高寺山で青巌を想う

会津坂下町の高寺山には伝承がある。 欽明天皇元年(540年)、中国南朝の国「梁(りょう)」か…

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4年前
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ラーメン「上海」 昭和40年代の記憶

祖父の家に着くのはいつも昼時だった。 叔母はさっそく、ラーメン屋へ出前の電話を入れ、最後…

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4年前
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会津高田町 昭和40年代の記憶

会津高田町という町名は、今はもうない。 平成17年に会津本郷町・新鶴村と合併し、会津美里町…

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4年前
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