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日本海を渡り会津に移り住んだ人々①


能登半島の気多神社

気多(けた)神社は、大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主神)を祀る。
出雲の大己貴命は、三百余の神を従え、出雲国気多岬、因幡国気多岬、但馬国気多郡を経て、能登半島に遠征した。

半島最大の邑智潟(おおちがた)にひそむ大蛇を退治し、住民の信頼を得ると、糸魚川上流(姫川)の翡翠(ひすい)を支配する奴奈川媛(ぬなかわひめ)と結ばれた。
子の建御名方(たけみなかた)神は、姫川をさかのぼり、信濃の諏訪大社に祀られたという。

気多の神は、古代に大勢力を誇った出雲と北陸とを結ぶ神で、主に出雲から越後の日本海沿岸に分布するが、会津にも二社、坂下町気多宮(けたみや)と昭和村小中川(こなかがわ)に鎮座することは興味深い。

『出雲を原郷とする人たち』(岡本雅亨著)によれば、坂下の気多神社は、文治二年(1186)、弁慶が笈(おい)の背板を奉納し、気多明神を祀ったことで気多宮の地名になったと伝わる。

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          (気多神社 会津坂下町)


昭和村の気多神社は、延喜三年(903)の創建だが、社殿焼失などを経て、延宝三年(1675)に、能登から改めて気多大神を勧請したという。
二社の関連性はみられないから、坂下町の気多神社は阿賀野川ルート、昭和村の気多神社は只見川ルートにより伝播したと考えられるという。


能登~新潟~会津への車の旅

私は、2019年の春に、能登から新潟の日本海沿岸、そして会津へ入るルートを車で旅した。
日本海を渡り会津に移り住んだ人々の足跡を、肌で感じたいと思ったからだ。

初日の朝、能登半島の西の付根、石川県羽咋(はくい)市の「千里浜(ちりはま)なぎさドライブウェイ」を通った。
千里浜とは、物が漂着した場所「塵浜」が地名の由来だという。

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          (千里浜なぎさドライブウェイ)


能登半島は、日本海側の海岸線で、最も突出面積が大きい半島だ。

太古より、ヒトもモノも、もちろん神々も、南方から黒潮に乗りこの地に漂着した。海の彼方から渡来する神々を客人(まろうど)神というが、能登では大己貴命もまた、出雲からの渡来神として信仰された。

さらさらの白い砂浜から日本海を眺めると、悠久の歴史が語りかけてくるようだ。
その前方にはこの日最初の参拝地、気多大社の森が見えた。

平成最後の日、気多大社も行事の支度で忙しいなか、権宮司と少し話すことができたが、会津の気多神社についての伝承は残っていなかった。
(続く)

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          (気多大社 石川県羽咋市)


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