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究極のワンオペ、そしてコロナ

中国で新しいウィルスが見つかったとの速報を目にしたのは、子どもを見ながら晩ごはんの支度をしていた夕方のことであった。

筆者は30代、これまで様々なウィルスの世界的流行も体験しており「おいおい、頼むから日本には上陸しないでくれよ」などと心の声が小さく漏れそうになったのを息子の前でグッと飲み込んだを覚えている。
それからのことは私が説明するまでもなく、あれよあれよとこの状況で気づけばもう半年以上を所謂コロナ自粛の暮らしで過ごしてきた。
最早「誰がウィルスを運んだ」とか「誰が感染した」と言う話ではなくて、新しい生活様式をそれぞれに工夫していこう!なんて時代に変わっていたのだ。

この記事では、究極のワンオペ育児だった私のコロナによって生活が一変した、そんな話を記してみようと思う。

自粛生活は天国?地獄?

筆者はそこそこの都会で子育てをしている。
夫はフリーランスのため殆どの仕事が消え、これまでのワンオペ育児が嘘のように、ずっと家族で過ごすことができる半年間となった。
収入がゼロになった月もあったがこれまで休みなく働いてくれていたおかげでそこそこの蓄えはあったし、そのぶん家族が揃ってごはんを食べたり一緒に作ったおやつとコーヒーで映画鑑賞。
夢にまで見たふつうの家族団らんのじかんを過ごすことができ、
あれ?子どもを産んでから今が一番幸せかもしれない…といささか不謹慎ではあるけれど思った。
そう、我が家にとってコロナ渦における自粛生活は天国だったのだ。

それもそのはず、我が家では息子が幼稚園に入園するまではThe ワンオペ育児であった。パパは朝早くから深夜まで働き、休みは1ヶ月に1回あればいいほう。
途中、数日間の出張もあるため母子は四六時中ふたりきりだった。
仮に休日があったとしても美容室に行きたいとかはあまり言えなかった。
それは夫がモラハラで…とかではなくて、寝ずに頑張って働いてくれる彼への私の唯一の優しさだったのかもしれない。そんなに美しいものでもないが、今になって振り返ってみると子育てはパパとママでするのが当たり前になった現代で夫をパパにするタイミングを先延ばしすることを不満ではなく不足として捉えていたのは夫の仕事へ向き合う姿勢へのリスペクトだったと思う。

私は遠慮をする性格でもないし強烈なワガママだって言えるタイプ。なので人並みに育児について夫婦で揉めたり、もっと一緒に考えてくれー!手を貸してくれー!と泣いて叫んだこともある。しかし仕事はなかなか調整もきかず、結局このスタイルは3年間続いた。


知らない土地では助けを乞うにもカロリーが要る

私たち両家の両親は遠い故郷にいる。いざと言うときに頼れるのは数駅離れたところに暮らす知人だけ。
しかし地元の友人とは違って、簡単に助けてもらう気にはなれなかった。
相手が子育てを経験していなければこちらの「助けて」の温度がわかりにくいだろうし困らせると思い、逆に子育てをしている家庭が相手なら「あちらもきっと何かと大変よね…」と尻込んでしまい結局SOSの声をあげるには至らないまま。

行政の力があるじゃないか!と頭では分かっているものの、疲れきっていて、
初めましての方とコミニュケーションをとるカロリーが残っていなかった。そのため自治体の支援センターに行けるようになるのも息子が少し大きくなってからだった。油断すると本当に誰にも頼ることなく頑張り続けてしまう。初めてセンターで保育士さんやそこに通うママたちに笑顔で迎えられた時、私は膝から崩れ落ちて涙がボロボロこぼれていたのを覚えている。
「こんなに近くに、いた…」

今になって思うのはもっと頼れる人に力を借りるんだった…と言うこと。
いざと言うときに助けてくれる人は居ない、そう思いながらワンオペ育児をすること自体が孤独なママにとっていちばんのガンなのだ。終わりのない真っ暗なトンネルでずっと子を抱えて立ち止まることはできない、ママである自分を解放できないこの恒久的な緊張感は産後の心身をボロボロにする。いや、私はズタボロになった。


外あそびは鬱々

土日に公園へ行っても、よその家庭はパパママが揃っていた。
子を喜ばせるアイテムをいっぱい担いで持っていくもあるし、走りだし危ない時は荷物を持っていない方の親がピューンと走って追いかけるもある。
私はと言えば遊ばせアイテムを抱えていれば機敏に走ることもできず、息子に向かって大声で「危ない!止まって!」と叫び、時には怒鳴り、
周りに白い目で見られた。(見られているような気がした)
今度は大声で叫ばなくてもいいように身軽を優先すると、あそびアイテムが不足して息子から「○○で遊びたい、持ってきてないの?」と聞かれて申し訳ない気持ちになることもしばしば。そして大きくなるにつれてパパの不在に気づき、いつも寂しそな目をするようになった息子、その背中を見ると胸が締めつけられた。

笑顔いっぱいで我が子に接する家族を見て「あんな風におおらかに育てらたらいいなぁ」なんて思うこともあるのに、私はといえば全てを一人で、独りで担うしそれがいつまで続くかわからない息づまりもあって息子にはいつも余裕のない物言いで接していて、怖い顔。寝かしつけたあとにはお決まりの自己嫌悪で苦しんだ。

何よりしんどかったのはその全てを誰とも共有することなく、ひとりで抱えたこと。誰とも、と言うより本来はパートナーである夫には知っていて欲しい苦しみだったにも関わらず共有する時間さえ持てなかったことが数年間私を蝕んだと思う。
SNSでは地元の友人たちと悩み相談や育児の情報共有もしたし、TV通話もそれなりに楽しんだけれど日々蓄積するワンオペ育児の呪いはどんどん大きくなっていた。

でも仕方がないのだ。
パパママが揃っている状態では目は4つ、手も脚も4本あり、口も2つある。
それが全部半分のなのがワンオペ育児なのだ。おおらかに接することができなかった自分の力量に不足を感じたが、足りないのはであり、であり、物理的なマンパワーなのだから。

この頃のワンオペ育児を語る際、一番思っていたのは「目を休めたい」だった。
朝起きてから夜寝るまで、なんなら寝てからだって私しか息子を見ている人がいないのだから私の目は働きづめだった。
掃除をしても、ごはんを用意していても食べさせても、連れて歩く時も、会計をしている時も、風呂に入れても上がっても。
とにかく何をしていても24時間×30日(つまり1ヶ月)次に休みが来るのはいつかわからない状態で「目を息子から話すことができない」のだった。
倒れるように布団へたどりつき「やっとこの目を瞑れる…」
そう思って深い眠りに着く頃、隣から息子の泣き声がクレッシェンドする。
もちろん可愛い息子だから、抱き上げる時はいつも愛しくて頬擦りした。
「ん〜なんて可愛い子なの、世界で一番大好きだよ」と毎日声をかけて舐め回すように愛した。
それでもやはり私の体はたったひとつ、ふと気を緩めると倒れそうになるのをグッっと堪えているうちに息子は3歳になっていた。

突然、家族らしい暮らしの始まり

物理的に休まらない日々ではあったけれど、溢れるほどの可愛いをいっぱい見せてくれた息子。その瞬間一つ一つの殆どを夫は写真や動画でしか見ることができなかった。
ところが2020年2月、コロナウィルスの感染拡大防止により仕事が全てキャンセルになり、我が家では突然、かぞく3人で家の中に引きこもる生活が始まった。
パパのことが大好きな息子は大喜び、パパもまた仕事のことを考えずに息子と向き合い、笑って、いろんな瞬間を共にした。
それだけで時間が過ぎていく幸せを噛みしめているようだった。
夫は仕事こそ鬼のスケジュールだったが、愛妻家で子煩悩。
仕事以外はそのすべてを私たち家族に注いでくれる人なので、箍が外れたように息子と遊び、すっかりリビングの住人になった。

息子が幼稚園生になり孤独な育児をしていたはずの私にも、実はここ1年でママ友なる存在ができた。園のママ友たちからのLINEでは、自粛によるウィークデーの自宅保育の限界など、疲弊した声が届き、「家でどうしてるの?大丈夫?」と私を気遣ってくれる優しい言葉までいただいた。
「我が家はパパがつききりで遊んでくれているからいつもよりずっと楽になった」と返信してもいいのだろうか、それくらい我が家の生活はこれまでと逆転していたのだ。

そして孤独でボロボロだった頃の自分へプレゼントしたい、余るほどの優しさだ。

徹底したコロナ対策

2020年9月現在ではたくさんのことが判ってきたコロナウィルス。
自粛のはじめの頃には、目に見ない恐怖に対してなんとか逃れようとオフェンスな気持ちでいっぱいだった。
買い物へは私だけが行き、帰宅すると着替えとシャワーへ直行、購入した一週間分の食品もすべてアルコール除菌した。まだ小さい息子のストレスを考え、夫が早朝に誰もいない公園を転転とツアーする朝活、とにかく人と接触しないように暮らしたのだ。

緊急事態宣言が解除され、ウィルスについても多様な見解が日々更新される。
能動的に情報をキャッチして自力で判断しなければ前に進めない世界になった。
その内容はどうであれ、判ってきたのはいいこと。
我が家なりのガイドラインでできるだけストレスを溜めない暮らしを、と踏ん張ってきたけれどそれも少し限界を感じている。

なんでもないようなことが幸せだったと思う

ワンオペ育児の最初の抜け道に(と言うとなんだか悪い意味に聞こえるけど)
息子の入園があった。
初日こそ「一日だって肌を離れなかった息子が」とか「私の視界にいつも居るこの子を人様に預けるなんて」と涙ポロポロで園バスを見送った私だったが、数週間後にはすっかり味をしめ、カフェや映画に行き「おひとりさまタイム」を満喫するようになった。
目で追いかけるのは息子、ではなくスクリーンに広がる物語やコスメや器を眺め
自分のためだけに視線を動かすよろこびを手に入れた。(ささやか…)

幼稚園に上がってからも夫の不在は多かったが、同じワンオペでも6時間もの間息子を楽しませてくれるスペシャリスト(先生)とおともだちの存在がいる!と思うと、私のワンオペ育児時代はもう終わったと言っても過言ではないくらい、一番しんどい時期を過ぎていた。

コロナ渦において家族の団らんに心が躍ったのも3ヶ月ほど、工夫はしていてもさすがに遊び盛りの息子がこれまでのレジャーや幼稚園のおともだちとの生活、そしてジジババに会えるはずの帰省などのキラキラしたお楽しみを封印して過ごすにも限界がきている。
私もまた、味をしめたばかりの「おひとりさまタイム」(通称ゴールデンタイム)を再び失った。

正確には、夫が息子を公園へ連れてハツラツと活動してくれ「ゆっくりしてね」
と優しさを差し出してくれるので一息つく時間はある。映画館やカフェでゆっくりすることや、目的もなくショッピングモールで過ごすことがどれほど価値のあるものだったのか、できなくなった今は痛手と感じる。
贅沢な話だけれど、育児においてじぶんを保つためにママやパパが自身にフォーカスすることは結果的に我が子へ優しく、安定した態度で向き合う糧になるからとても大事なことである。

賃貸マンション×都会育児の活動限界

こうして考えると、ワンオペでも辛い。
コロナで人手があっても外出できなくて辛い。
と、なんだか随分とわがままな自分に気づく。しかし、よく考えてみるとコロナウィルスが流行してしまった以上、気をつけることは本当に増えたわけでこの状況に疲弊するのも無理はない。誰にだって初めてだ。

理由があって息子は夏休み後も休園しておりまだ自宅保育が続いている。
長期戦なので親子でも息がつまらないように互いにゆるめるポイントを作ってはいるものの、息子の「充実していない姿」は親として辛い。

ワンオペ期であろうと家族で自粛期間であろうと
「今日もいっぱい経験したかな?」が大事なのだと知った。
その経験とは楽しい事ばかりではなく、転んだとか泣いたとかおともだちとうまく関われなかったとか一見ネガティブな出来事も含めて。
コロナによって一番減ったのは思いっきりだ。
その思いっきりが子供たちにとっては何より大事であり、制限の中でこれを毎日供給することは本当に難しいと言うことが分かった。

そんな中、4年暮らす賃貸マンションの下階の方から「子供の足音がうるさい」
との苦言もあった。初めてのことだった。
神経質なくらいに十分に気をつけていたつもりだったけれど、コロナ自粛で傲りのような気持ちがあったかなと反省もあったし、何より下の階の方へ申し訳ない気持ちが込み上げた。

そして同時に、息子に対し思いっきりをいっぱい与えてあげられなくてごめんね、と負い目のような感情もわいた。戸建てだったらなとか地元なら道路も広くて車も少なくて危険もないし、もっと可能性が広がったのにな、とか。

マンション騒音問題を思えば、マイホーム計画も考えたい。
マイホームの資金といえば無収入で蓄えをくずしている現状への焦りと憤りもある。

様々な工夫も底をつき、ヘトヘトの心で何ができるだろうか、模索は続く。

ギヴァーでありたいんだ

コロナの制限の中での子育てで分かったのは、親にとって子供に十分に与えてあげられないことは何よりのストレスだということ。
ワンオペの時はマンパワーが不足して物理的にも、疲弊した心で精神的な豊さも十分ではなかったし、一方でコロナによって行動が制限された後では子供にとって一番のごちそうである風!水!太陽!ともだち!とかが安定供給できないジレンマがある。

しかし、親が思うよりずっと子どもたちは些細なことで楽しむことができるプロ。だからこんな風に「もっと子どもにあんなこともさせてあげたい」など、考えすぎなのかもしれない。親とは子どものことになるとどうしても考えすぎる生き物である。不足のないように、足りなくないように…と考えてしまう性をガソリンに動けちゃう仕様になっているのかもしれない。


コロナ後の世界で子どもにどんな環境と経験を与えられるのか、
これからも考えて行動したい。
親が勝手に感じているのかもしれないストレスやジレンマにセイグッバイして
少しでも健やかになるように。






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