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考えていたことの答えはいつもどこからともなくやってくる

今朝テレビを見ながら母と朝ごはんを食べていて、『サワコの朝』という番組を見ていたら、講談師の神田 伯山さんが出演されていました。私は存じ上げなかったのですが、母は「今すごい人気ある人なんよ!」と言っていました。


私は食卓につくのが遅くて後半10分ぐらいしか見れなかったのですが、神田さんは赤穂浪士の討ち入りの話について、「講談では、討ち入りを行った47人ではなく、行かなかった250人の方にスポットライトを当てる。人間には弱い部分があって、その弱さも含めて人間なんだから。」ということをおっしゃっていました。


私が一昨日から本を読みながら感じていることだったので、びっくりしました。その本の中では、人間の醜い部分や弱い部分がていねいに描写されていて、やわらかい言葉で語られているのに何とも言えない怖ろしさがあって、それが人間なのかなぁ、ポジティブだけじゃないもんなぁ、と考えたりしていました。


神田さんは、こういうようなこともおっしゃっていました。「以前の講談は、聴く人がわかるようにという配慮はしていなかった。講談の前にその物語の背景を説明したり、伝わるように変えることで、より多くの人に内容をわかってもらい好きになってもらえる。」と。

私はメモも取らずにぼーっと聞いていたので、神田さんがおっしゃっていた言葉とは違う言葉で書いてしまっていると思います。そのようなことをおっしゃっていた、ということです。


ちょっと前からずっと考えていることがあって、それはとある場所で行われた議論が印象に残っているからなのですが、小説を人にわかるように書くのかどうか、誰が読んでもわかるように書くべきなのかどうか、という話です。


書きたいものを書きたい形で書き、理解できないならしょうがないか、というやり方でいいのか、という話です。
私には難しい話なのですが、その時の議論の中では、読まれたいのであればわかるように書くべきという意見が多かったです。
私は、読みやすい取っ掛かりになる部分も作る、という折衷案を発言しましたが、私の他にもここを例えばこう変えるとか、という意見の方も数人おられました。
妥協せずもっと貫いて書けばいい、という意見の方もおられました。


書きたいものがあって書いても、理解できないからという理由で読んでもらえないのならば、読んでもらえるように変えた方がいいのだろうか?


そんなことをずっと考えていたので、今日の神田さんのお話を聞いて、多くの人に親しんで好きになってもらうためにわかりやすくするように変えて、多くの人に聴きに来てもらえるようになったということが、それが答えなのかなぁ、と思いました。

YouTubeで期間限定で公開されている動画を見つけて、初めて神田 伯山さんの講談を聴きました。

すごい迫力と演技力で物語に引き込まれます❗️すごく人気があって、チケットがなかなか取れないそうです。生で聴いてみたい!と今まで聴いたことがなかった私でも思いました⬇︎

何かを考えていると、そのことに関連したことが突然目の前にあらわれることがあって、面白いなぁと思います🙂

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