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(雑談)弁理士という立場が人を育てるのかもしれない

去年、弁理士登録をすることの意義についての私見をnoteに書いた。

上記は一般論だったので、自分自身としてはどんなメリットがあったか、という雑感を書きたくなった。以下、私個人の体験としてお伝えしてみたい。

簡単にはいい加減なことを言えないプレッシャー

「あなた弁理士だから」と、めっちゃ実務的な著作権の問題や、マイナー外国の特許制度について問われたりすることがあった。
弁理士試験をご経験された方であれば、『そ、そ、それは弁理士試験の勉強ではなく・・・』という言い訳が一瞬、頭の中をササっと通り過ぎるのではないだろうか。

場合によっては、「すみません。分かりません。」とお返ししなければならないこともあるだろうけれど、大抵の場合、私は必死に情報をかき集め、自分なりに論理的で納得のいく回答をなるべくするように心がけている。(その上でも、分からなかった範囲をきちんと示してお答えする。)

なんでそういうことになるだろうかと考えると、やっぱり弁理士である(未登録の間は弁理士試験合格者である)という意思の元、「簡単にはいい加減な回答をしてはいけない」という意識に縛られているからだと思う。

このプレッシャーは、けっこうな圧力だし、負担も大きいと思う。でも、だからこそ、このプレッシャーに育てられたところは多かったと思う。他の弁理士(弁理士試験合格者)の皆さんはどうだろうか?


この人なら知っているかもしれないという裏切り難い信頼感

知財の業務は、ものすごく幅が広いし、対応もグローバルだし、制度の改正なんてものもあるので、企業知財のベテランの方でも、ちょいちょい知らん制度なんかが沸いてでてくることがある。

そういったときに、私に信頼を寄せていただき、どうしたらよいか聞いていただける、という有難い機会も何度かあった。
(・・・結構な割合で、私も知らんのですw ベテランの方が知らないことなんて、私なんぞが知る由もないwww)

だがしかし、「この人なら何とかしてくれるかもしれない」という信頼を寄せていただけるということ。その時も、やっぱりいい加減なことをして、その信頼を裏切るということは、できないよね。(そりゃーね。)


という感じで、「弁理士だから」というよりは、弁理士という肩書から派生したプレッシャーや信頼感なんかで、成長したところが大きい気がする!!

・・・皆さんはどうでしょうか?



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