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第4話 ✴︎所信を貫きたい! 3週目JUNE✴︎By 根津イーディ[2019.06.19wed〜06.22sat]

引き続き先週のことをまとめていこう。

■6月19日(水)
業務用オーブンでローストビーフを作ってみた。

そもそもこの奮闘は「シャンパン入れるときになんかそれに合う肉出してよ」という英多郎寿司の大将からの宿題に始まる。なので出来たらLineすることになっていた。「一応できましたが初体験なんで...」とLineすると「味見しに行く!」と数十分後に大将来店。すごいフットワークだなあと感心する。早朝からカシとか行ってるのにエネルギーあるなあ!
北町羊男が「わさびでいいんじゃない」と言っていたからそれで出してみたのだが大将は「絶対ソースあった方がいいよ、ソースないと、いい肉使わないと様にならなくなるから」と原価視点からのアドバイス。笑。

ソース!! なんてハードルの高い宿題!笑
そんな訳でその宿題に関しては次の日に来てくれた常連の料理人くんたちや、神楽坂ワインバー10colorsの常連さんで手料理にこだわるYゴくんに色々意見きく。

その前に、この日の大目玉としては「マルティニーク島」のラム。

↑FBに掲載したラムについての物語。

リクエストをくださったイナサワさんはなかなか来られないのだけれど、そのおかげでこの夜はたくさんの人が「じゃあそれを飲んでみよう」ってなって、みんなカリブの美しく悲しい島に想いを馳せながら、このラムを飲みました。

最後に現代アートをやっている男の子たちが二人でふらっと来てくれた。
「最近どんなアートしたの?」って聞いたらそれがすごく面白いの。
彼は幕末の研究をしていて幕末にすごく詳しくーー当然不忍池が琵琶湖に見立てられていたのも知っているし、それどころか琵琶湖に見立てたさらに奥は京都をイメージして作られた街なのだということも教えてくれたーーそれで、根津〜上野近辺を幕末の角度からツアーするというアートを最近やったらしい。

なるほどね、二階のスペースをわたしは純粋に誰かの個展とかに使ったらいいなと思ってブッキングしていたのだけど、土地の特性を生かして「幕末と不忍池」みたいな歴史特集を組んでも面白いのかもしれない。

■6月20日(木)

RSACOから仕入れたきんぴらをお通しにしてみる。(これは撮影用だからちょこっとだけど本当はもっと量が多いです)

いつもは神楽坂ワインバーで会っていた、神楽坂ボスのブラザー(笑 Yゴくんが「今日根津でご飯食べてたんで」と、友人の男の子と来てくれる。
Yゴくんがあんなに料理に詳しいと知らなかった。簡単にできるのにひとひねりした感じがあるレシピを色々教わる。Yゴくんと、その後来てくれた料理人コンビにローストビーフの相談をする。おおむね皆の見解は「このままでいいと思う。ワサビとあと柚子胡椒とか、塩とか、添え物を日によって変えたりとかで十分だと思う」だった。

なるほど。でも英多郎さんの宿題には応えたいのだ、というと、料理人の一人の男の子とYゴが「これこれこうしたら簡単に美味しいソース作れるよ」って教えてくれた。ああもう、ほんとみんなの知恵に支えられてわたしカウンターに立ってます、ありがとう! Yゴくんの友人とわたしは昨年病床にいたという共通点があって、そういう体験をすると人生の優先順位が変わるよね、とかそういう話をしたよ。わかってくれる人に出会えて嬉しい。

そうそう今週からこの箸置き、使っています♪


■ 6月21日(金)

何人かの常連さんには「わたし4月に肺炎で入院してたんです」と話していたのですが、ちょうど同じ頃、つまり3月の末、花粉の酷い時期あたりからわたしと甥っ子は同じ症状が出ていて、わたしは入院、甥っ子はことなきを得ていたのだけれど、やっぱり時間が経って入院することに。肺炎は退院後の方が本当に辛く、5月は本当にきつかったので自分のことのように心配。

また、感染病棟に甥っ子はいるので、わたしの友人にはおなじみ、ベスフレこと姪っ子が病棟に入れないため、子供達を見るのに大人が2人必要となったので、
この日、ベスフレ[姪っ子]の子守に出かけ21:30オープンとした。

これまでの時代というのはどんな諸事情があろうとお店は定時にオープンせよとか、そういう”ぬるい”やり方はいかがなものか、と言われていたと思うのだけど、前日のYゴくんの友人との会話にも繋がるのだけど、わたしは昨年とこの春に、二度入院して死の際を覗いたと思っていて、それはもう病名とか関係なくじぶんが体感したらそうなのであって、幸いにも命拾いさせてもらい、少し余命を頂いたわたしとしては今、1分1秒が「人生そのもの」なのである。誰かに高飛車と思われてもふてぶてしく思われても、じぶんの人生において果たさなければならぬこと以外のことはしないと、決めた。(なぜなら余命の中で全てを果たす時間がないから)

だからわたしは、先日、「ここへ行きなさい」「ここに顔だしてください」とか、あちこちへの店への顔出し営業をlineで勧めてくる常連のトニーさんにも「わたしは基本的には”井戸の中で微動だにしない蛙のような女主人”を目指していて、店の外へこまめに出かけるという”水商売的な”動きをする気は全くないです」と嫌われる覚悟ではっきり言った。(と、言いつつ近所は別ですよ、チョローン、と行けるし)あまりにはっきり言ったので、個展の下見に来ていたコウヘイ君がこっちを見てびっくりしていた。
しかし向こうも善意なんだからこういうのは早い方がいいのだ。

わたしがそう言うとトニーさんは「いや僕的には店の運営云々とかより、そういうところで出会いがあってモカコさんの出版に繋がったらと思って」とおっしゃっていたが、それはまたわたしのことよく知りもしないのに、失礼な話。(なぜならそこに、あまり売れてないようだからどうにかしたりたいみたいなニュアンスがあったから)

わたしは出版ができないから店をやってるわけじゃない。

わたしには新潮社、幻冬舎と、作品を書けば読んでくれる版元がある。
先日幻冬舎の石原さんにもそう直々にメッセージもらったし、デビュー版元であり近所にどでんとそびえる新潮社、そこには最大の理解者ノーリー先生が毎日おらっしゃるにも関わらず今も原稿を持って行っていないのは「紛れもないわたし」、幻冬舎に頼まれた原稿ーーおばあちゃんのことーーをまる5年も書いていないのも「紛れもないわたし」なのであって、そうであるにも関わらず「文化の駅を作りたい」とかって根津イーディを始めたわたしが「出版のチャンスをもらうために」よそにちょこまか営業に出かけるなど、わたしの原稿を待っていてくれる編集者たちをどれだけ馬鹿にすれば済むのって話なの。

こう書くとトニーさんの陰口みたいだけど、わたしは「自分は編集者志望だった」という割には編集者の本質を理解せず、売れていないのはまるでわたしに何か落ち度があるように「一文が長すぎる」とか、悪いところを直させるべく色々指摘をしてきたトニーさんに「あなたが編集者だとしたらあなたのやってることは1つも中島桃果子を理解しようとしてないし、悪いところを指摘ばかりして信頼もしていない。それはわたしという作家に寄り添った行動ではないから、あなたが担当編集者だったらマジで最低、わたしなら替えてもらう」と直接言ったので(実際はFu**というさらに汚い言葉を使った)から、陰口じゃない。笑。

井の中の蛙は大海を知らないけれど、わたしはもう15年水商売をやってきていろんな海を見てきた。その蛙ーー中島桃果子的には金魚としようかーーが、ここだという井戸を見つけてそこに棲む、そして動かないと決めたのだから、それは傲慢ではない、ある種の結論と言っていいだろうと思う。

そしてその「わたしの人生そのもの」の1分1秒の中で果たさなければならない使命の最優先事項に、妹含む「働くママたち」への全力のバックアップが含まれている。男性と同じだけの成果を時間的にも労働的にも強いられ働きながら、圧倒的に子育ての比率を旦那より担うことになってしまっている、歪んだ日本社会の溝に落っこちている働くママたち。特に都内の。
芸術家、そして働くママたちの大いなる味方でありたいわたしは、
今後もそういった場合はこのようにお店を、遅めに開けると思います。

皆に理解してもらえるとは思っていないのだけど、
世の中の人、全員に好かれることもまた無理なのだと40歳になってしかと悟ったとき、じゃあわたしは誰のために生きたいかというと、じぶんを理解してくれる人たち、根津イーディの場合は、理解して通ってくれるお客さまたちを、大切にもてなし、何かあったら凛然と守る、そういう風に生きていきたいと強く思いました。

理解してくれない人に対して理解してもらえうように努力すること。
それはもうこの、作家生活よりも長い15年の水商売生活でわたし、懸命に取り組んできました。

けれどそれは結論から言うと、理解してくれる人たちに我慢をさせ、理解しない人を野放しにすることだった。そして理解しない人は、結局何か気に入らないことが、1つでもあった時に、憤慨してわたしを罵倒して「金を払ってるのは誰だよ」とか言い出して、それを眺めているわたしの理解者たちが、見ているだけで辛い気持ちになるのである。
15年間の結論であるから重んじて受け止めて良いと考えています。

なので、この「根津イーディ」からわたしを知った人にはわたしが「ずいぶん白黒はっきりした」「ずいぶん自分を曲げない」女主人のように見えるかもしれないなと思う。でもね、わたしは変わったのです。いや、変わろうと自分を奮い立たせた。そう「セツアンの善人」でお人好しの娼婦が、お腹に宿った子供を守るために”あくどい従兄”という架空の人間を作ってそれに扮したように。
たくさんの人を幸せにしようとすると、一番身近な人を不幸せにしてしまう。
わたしは自分の家族と友人と、芸術と働くママたち、そして根津イーディで出会った皆様ーー今これを読んでくれているあなたーーを本当に大切にするために、それ以外に対してはバッサリ対応していきます。
今、所信を貫くとき。


さきの子守看板は、そういうわたしの意思表明でもあったのでした。


■ 6月22日(土)

さっき「どこにも出かけない」と言いましたが、出かけました。笑。
”ナッカーサー”

これには訳があって(言い訳をさせてくれ!笑)
実はこのお店、わたしが根津でお店をやることになるはるか昔に、我が親友のちほさんから、熱く語られていたお店なのである。今年の2月に、わたしとちほさんは「0磁場温泉」という磁場がゼロという、ある意味怪しさ満点の温泉にその「無」である磁場を体感しに出かけた。笑。
そのまさに「0地点」のお湯の中で彼女は「ナッカーサー」の話を熱く語ってくれたのだ。入り口は、わたしには3人妹がいるのだが下の下の妹、ライターの美粋(みいき)、その「まさに美粋がやってたらこんな感じじゃないかと思うの!!」ということで親友はナッカーサーの話をわたしにしてくれていたのである。

なるほど店内とってもお洒落で、確かに中央線と古着と演劇をこよなく愛する妹ミイキととても通じる感じ。ママちゃんもZipperのモデルさんにいそうな可愛さ。
(でも年はわたしとそんなに変わらない。見えない!)

もっともっと長居したかったのだが、ノーゲスの狭間に中抜けして出かけたので、さっと一杯いただいておいとまする。ママちゃんとはある話題(おおよそとある愚痴)で意気投合し、固く握手を交わして「またね」となった。

下町の路地に猫。なんて下町の夜らしい景色。笑。

その人はその後、常連さんがちらっと来てくださったが総じて暇であったので、
ずっとやりたかった扉の黒板(写真右)に着手。写真をご覧になってわかるようにもう朝です。電車で帰りました。

(通りに出す看板の上にShop Cardを置いてみた。割といいかもしれないよね。ほんとはA5くらいのチラシがいいと思うんだけど、まだ間に合ってないんだな)

そんな #根津イーディ
いよいよ今週で6月も終わるのだ。(続く) 

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