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心の守り方を考える

心を壊してから数年が経った。

いわゆる「壊れる前の正常な状態」を少しずつ思い出しながらも、本当にそうだったっけ、と戸惑う日々が続いている。

壊れては培い、また壊れては培うことを繰り返している中で、心を守るということを少し考えるようになった。

ざっくりまとめてみたので、お目汚しになって大変恐縮だが、お茶請け程度に見てもらえると嬉しい。

考えない

これに関しては、脳が極限状態に陥っている人間ならば無理に近い話だろう。意識しなくてもたくさんの思考が頭の中で暴走している人間に「急ブレーキをかけろ」なんて事故まっしぐらでしかない。個人差はあれど、いずれショートして破滅してしまう。

「ふーん」で済ませられる体力が残っているのなら「考えない」という選択肢も重要だが、脳が暴走しているうちは効果がない。

暴れ回っている脳にスピードダウンを促すなら、次に説明する方法のほうが効果的だ。

問題から距離を置く

考えないというのは無理な話でも、「問題だと思っていることから一旦距離を置け」と声をかけることならできるかもしれない。

問題を解決できることは優秀だけれど、その前に、問題を認識できることが立派な能力だ。心配性であるということは、問題認識能力が高いということでもある。

解決能力が低くても、認識能力が高ければ周りと解決していけばいい。「自分はひとりだ」と思ったとしても、現代にはネットという膨大なものがある。そこには名前も知らない誰かがいるし、解決の糸口を持っているかもしれない。

一縷の望みにかけるような必死さはいらないけれど、何かしらの形で問題を発信していければ、顕在化した問題の3割くらいは解決できるはずだ。

これはいわゆる「パラダイムシフト」と言うやつだ。日本語で言うと「発想の転換」である。

問題から距離を置くことで、巡り巡って発信力もつけられるかもしれない。
日本人が大好きな「お得」である。

やり切る

ツァイガルニク効果という心理学用語がある。別名「やりかけの心理」というもので、やりかけのことがあればあるほど心の中に溜まっていってしまい、考えざるを得なくなるというものだ。

この理論からいくと、発生した用事はさっさとやりきってしまった方が心も楽になりやすいのだが、何かと複雑化している現代の中で「やり切る」というミッションはハードルが上がっている。

それに伴って用事が「中途半端」になるのは致し方がない。

「完璧じゃなくていいからやり切る」が推奨されているのは、複雑化している中で考えを突き詰めようとしてもキリがないからだ。

やり切るには完璧主義思考から逃れる必要がある。

区切る力をつける

完璧主義思考から逃れるためには、「ここでおーわり!」という区切りを見つける能力をつけた方がいいかもしれない。

用事をみじん切りにすることで、ハードルの数は増えても高さは下がる。

対策を考える

建設的な思考を展開できる状態ならこれが一番いい。皆がみんな納得して終われるのならそれがいい。ただ、的確な対策を考えて確実に実行するのは「50cm先にある針の穴に一発で糸を通す」くらい確率の低いことであることも事実だ。そううまくはいかないからこそ、ほんの数ミリの突破口を模索するのは重要なことだ。

頭では分かっていても、実行するのは難しい。言うは易し、行うは難しとはよく言ったもので、突破口を見つけられたとしてもその先で足踏みしてしまうことが多い。

考えすぎはよくないが、できそうなことを一つでも多く捻り出してみた方がいい。そこに突破のヒントがあるはずだ。

ひとつでも「親切」をしてみる

実のところこれが一番効く。
「自分のすることなんて…」というモードになっている時は無理に動かない方がいいが、心に少しだけ余裕が出てきた頃に実践してみるといい。
やることはなんだっていいのだ。
ゴミを拾うでも、人に道を教えるでも、席を譲るでも、なんでもいい。0.5歩でも踏み出してみることがいいのであり、実践内容は本当になんでもいい。
なんでもいい、と言われると迷ってしまうかもしれないので、自分が実際にやったことを書いておく。本当に些細なことだ。

・道端のゴミを拾ってゴミ箱に捨てる
・道に迷っていた老夫婦を後部座席に乗せて目的地まで送る
・友人の「しんどい」ツイートを見たあと、心が和むスタンプを送る

中にはお節介と言われるものもある。自分が今まで出会ってきた人間に教えた日には「それなんか裏があるでしょ?」と一蹴されてしまうものもある。

でも、いいのだ。こういうのは自己満足が目的であって、他人に認めてもらったり褒めてもらったりすることではない。
自己肯定感の根幹は、自己満足にある。それを忘れて突き進むからメンタルが死ぬ。

心が壊れてしまった人には「何が苦しいか」を聞く

最近になってようやく鏡を見られるようになった。
ひどい時は鏡を徹底的に避けて生活しており、体重が10キロ以上増え、肌はどんどん荒れていった。

単刀直入に言えば、心が完全に壊れてしまったきっかけは不明だ。
「これ」という原因が分かっていたのなら早いうちに対策を講じられただろうし、今このような状態にもなっていない。
不明だからこそ立ち直るのにも時間がかかっている。

ダウンした人間に対して「どうしてそうなっちゃったの?」という問いかけをするのは不毛であるということを分かっていた方がいい。
本人から何かを聞き出したいなら、「今どんなことが苦しいのか?」を聞いた方がよっぽどマシである。

自分は幸運なことに、憔悴しきっても寄り付く場所があったから今こうして文章を書き連ねられている。もしこれが背水の陣であったらと考えると、やはり何かしらの策は持つに越したことはないのだろうと思う。

誰にも心配をかけない、と言うのは立派な孝行だ。本来それだけで十分だ。


ここまで読んでくれてありがとうございました。

なんだかだらだらと書いてしまったが、心の守り方はいろいろある。
おそらくクリティカルな解決策は他にもあるだろう。

今回は自分にとって「これが効いた」というものを書いてみたので、他にもあれば、ぜひ教えていただければ幸いです。

表に出さないだけで、心の奥で助けを求めている人はたくさんいる。
自分もそのひとりなので。

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