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「一般的な死」と「死刑囚の死」

0. はじめに

 私はまだ20代後半なので、つい最近まで自分の死というものを身近に意識したことはなかった。しかし、昨年末に心臓に痛みを覚え、束の間ではあったが死の恐怖を感じた。幸い大きな総合病院で診てもらったところ、ストレートバック症候群という心疾患とよく間違われやすい症状であることが分かった。特に、治療や投薬が必要な病気ではないため、検査を終えてからそのまま帰宅し、数ヶ月経ったが元気に過ごしている。

 そうしたちょっと怖い経験をしたので、「死」について考えることが近頃少しだけ増えた。思考を巡らす中で、死刑囚の死、すなわち絞首刑が一般的な死と比べてあまり悪くないのではないかとふと思ったので文章で整理してみた。

※本投稿は罪を犯して死刑になることを推奨するものではありません。また、死刑制度の是非について論じるものでもありません。ただ、我々一般人の死の形が、よくよく考えると死刑囚の死にすら劣っているのではないかと思ったので、単にその思考を表出したものです。
※「一般的な死」と「死刑囚の死」ともに日本国内が前提です。
※参考までに筆者個人の意見を明かすと、死刑制度および現在の絞首刑という手法に賛成の立場です。

1. 一般的な死

 厚生労働省が発表した「令和元年(2019)人口動態統計月報年計(概数)の概況」によると、日本国内における死因の上位1~5位は以下のとおりである。

①悪性新生物<腫瘍>    27.3%
②心疾患(高血圧性を除く) 15.0%
③老衰           8.8%
④脳血管疾患        7.7%
⑤肺炎           6.9%

 統計データは細かな病気別などになっているが、それだと分かりにくいので大まかに再分類すると以下のとおりである。

①病死  83.8%
②老衰  8.8%
③事故死 2.9%
④自殺  1.4%
⑤その他 2.5%
(小数点の関係上、合計で99.4%である。ちなみに「他殺」は0.0%である。)

 まず、病死について述べると、私は医療従事者ではないため各病気の苦痛がどれほどのものなのかは知らないし、病気の種類によって苦痛の大小が千差万別であることも間違いないだろう。そのため、死因を「病死」と一括にするのはやや乱暴ではあるが、文字通り人を死に至らしめるほどの病気なのだから、どの病気であってもかなりの苦痛があろうことは想像に難くない。

 最も理想的な死とされている「老衰」で逝ける人は1割に満たない。「事故死」は年齢に関係なく突然に死がやってくるし、即死でない限り相当な苦痛を被るだろうから、避けるべき死に方であろう。「自殺」は方法によっては身体的苦痛を少なくすることは可能だが、そもそも自殺するほどの精神的または身体的苦痛を受けているから自殺するという点を踏まえると、「自殺」は決して良い死に方とは言えないだろう。

2. 死刑囚の死

 2000年~2018年の間に死刑が執行された数は91人で、平均すると年間4.8人である。また、日本の死刑は絞首刑によって執行されるが、絞首刑はほぼ即死であると言われている。つまり、絞首刑は身体的な苦痛に限って言えばほとんど苦痛がないということになる。

 ここまでの投稿をご覧になられた読者の中には「死刑囚の精神的苦痛を考慮していない」と感じる方もおられるだろう。たしかに、逮捕から公判中、そして死刑確定後の拘置所で「いつ死刑が執行されるか分からない」という不安の中で過ごすのは、いくら殺人犯とはいえ相当な精神的苦痛を感じているに違いない。死刑確定から実際の死刑執行までは平均でおよそ5年かかっているため、5年間も不安な心持ちで過ごすということになる。

 しかし、私が疑問に思うのは、病死であれば精神的苦痛をあまり感じていないのかというと決してそんなことはなくて、病死であっても死刑と同じぐらい精神的苦痛を被っているということである。脳卒中や心筋梗塞で突然死した場合、患者本人の精神的苦痛はあまりないだろうが、ガンなどで余命を宣告された人は、半年から長い人だと5年以上も死を待つことになる。余命の期間が短ければ良いということではもちろんないのだが、人によっては余命宣告の期間が長いというのはそれだけ苦しい時間が長いとも言えるだろう。
 
 また、精神的苦痛に関して別の視点を加えると、あくまで一般論としてだが死刑囚が死刑執行によって失う人生の価値と、一般人が病死などによって失う人生の価値の大きさは後者が大きいであろう。これは単に死刑囚が拘置所に閉じ込められているからという点だけを言っているのではなくて、そもそも殺人を犯すような人の人生は不遇であった蓋然性がかなり高いという点も含意している。不遇な人生だったら処刑されても精神的苦痛が少ないだろうと述べるのは私も気が引けてしまうが、死によって失うものの大きさを冷静に考えると、死刑囚になるような人の人生から死が奪えるものとはどれほどのものだろうか。一方、一般人であれば、愛する家族や友人、仕事や財産などを死によって失うのは大変な精神的苦痛を伴うであろう。

 精神的苦痛に関する結論としては、一概に一般人と死刑囚どちらの苦痛がより大きいとは言えないであろうということを述べたい。一方、身体的苦痛に関しては、死刑囚よりも一般人が病死や事故死した場合の方が明らかに大きいであろう。

3. まとめ

 身体的・精神的苦痛の総和で比較した時に、「死刑囚の死」に勝っているのは「老衰」だけだと思う。しかし、老衰で逝ける人は8.8%しかいないため、貴重な死に方である。もちろん死刑囚の人生が羨ましいとは決して思わないが、死ぬ時の苦痛だけを考えると何とも死刑囚は楽そうである。ある意味「安楽死」と呼んでもいいのではないかというほどに。現在の日本で安楽死が認められていない点を踏まえると、病気で苦しみながら死ぬこととほぼ間違いなく即死できる死刑とを比較した時に、我々一般人の死はいかに大変なのかを思い知らせる。幸い私は今健康体だが、いつか難病を患うかも知れない。その時に「安楽死」という選択肢があってほしいと切に願う。まじめに勉強し、働き、納税し、法令遵守してきた一般人の死に方が、死刑囚のそれに劣ることはあってはならないと思うから。

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