見出し画像

「頑張れ」じゃなくて「頑張ったね」って言ってあげたい


先日の記事にも書いたけど

頑張れってめちゃくちゃ言う。
言ってしまう。
自分に言い聞かせてることが多いけど、人に言うことも多い言葉だと思う。

でも、誰かに言うのはちょっと躊躇う時がある。
一般的には励ましの言葉だと思うけど、その人の状況によってはものすごい心をえぐる言葉にもなるから。

何ていうか、都合の良い言葉というか、当たり障りの無い言葉。そう思ってしまってるけど、時に凶器になる言葉だと思う。本当に限界まで頑張ってる人に言うのは躊躇う。

言われる状況にもよると思うし、相手に深い意味はなくて、別れの挨拶くらいな感じで、じゃあ、頑張ってねって言われることも多い気がする。

でも、たまに深く考え込んでしまう。
自分の中では常に全力で頑張ってるつもりで、手を抜いてるつもりは一切ない。ずっと頑張ってるのに、追い討ちをかけるように言われる、頑張れって言葉。

まだ頑張り足りないのかな?
いつまで頑張ればいいの?
何を頑張ったらいいの?

って自問を繰り返しながら、もうかなり限界まできてることにも気づいてないフリして、もっと頑張らないとって限界超えても頑張り続ける。

次はきっと頑張れば認めてもらえるはずって、また限界超えても頑張り続けて、でもやっぱり認めてもらえなくて、それが繰り返されるうちに

頑張ってるのに認めてもらえない。
どんなに頑張ったところで全て無駄。

そう判断してしまう。

じゃあ最初から頑張らなければいいんじゃないかって思うけど、完璧主義な自分が手を抜くこと許さない。

言われると嬉しい人もいると思うけど、少なくとも自分には「頑張れ」って言葉を聞きたくない時期があった。



ずっと覚えてることがある。

高校生の頃の話。

私は5、6歳くらいから高校卒業するまでずっと続けてるスポーツがあった。兄が先に始めてて、自分もやりたくてしょうがなくて始めたスポーツ。
(あえて何のスポーツかは書かないけど)

高校もその部活のことだけ考えて決めた。地元の公立ではインターハイによく出てた学校。小さな町だし、入学前からその年の入部予定の人は自分しかいないってことはわかってたんだけど、私の中で他の高校行くっていう選択肢がなかった。周りの期待を裏切っちゃダメだと思ってたのかもしれない。

それでも、小さい頃から知ってる先輩達ばっかだったし、練習はしんどかったけど、それなりに楽しくできてたと思う。

でも、先輩達が引退してからは辛かった。

一人しかいないら、必然的にキャプテンになった。中学の時もキャプテンだったけど、今思うと全く向いてなかったんだと思う。単にしっかりしてる風に見えてただけで、みんなをまとめることは苦手だった。どっちかっていうと誰かを補佐する方が向いてた。だから先輩たちについていく方が圧倒的に楽だった。

後輩とは必要以上には関わらず淡々としてた。むしろ気の利かなさとか、要領の悪さとかにイライラしてた。イライラしてる自分にさらにイライラしてた。
その頃の部活は、毎日泣きながらやってた。練習がしんどいとか辛いとかじゃない。何で泣いてんのかもよくわからなかった。勝手に涙出てきてた。

漠然と何でこんなことやってんだろって思ってた。

共感してもらえる同期はいない。他の部活の友達はいたけど、同じような境遇の子なんていない。みんな同期がいて部活でも楽しそうだった。それをずっと羨ましく見てた。そんな境遇を気にかけてくれてた先輩もいなくなった。
私の記憶してる中では一番辛かった時期。
でも、3年間やり通した。

部活やめたいって思ったことはなかった。そのスポーツが好きだからとかではなかったと思う。そもそもの選択肢として存在すらしてなかった。自分からやりたいって始めたことだから最後まで頑張らないとって思ってた。高校までが一つの区切りだったから、目の前にゴールが見えてるし、続けられてたのかもしれない。もうちょっとだ頑張れ、って。

高校最後のインターハイ予選の朝、卒業した先輩達から激励メールが来るのが恒例だった。

「頑張って」「悔いのないように」「応援してる」
そんな言葉が並んでた。大事な試合の直前だから当たり前だ。自分でも同じようなメールを送る。

でも一人の先輩のメールだけ内容が違ってた。
2つ上の先輩だから、高校は1年しか被ってなかったけど、幼稚園の頃からずっと一緒で、よく遊んでもらってたお姉ちゃんみたいな人。
そのメールにはこう書かれてた。

「今までよく頑張ったね」

読んだ瞬間、涙が止まらなくなったのを覚えてる。
試合に向かうバスの中で周りに気づかれないように泣いてた。

今までやってきたことが一瞬で報われた気がした。
私、ちゃんと頑張ってたんだ。ちゃんと見ててくれた人いた。
そう思うとただただ嬉しかった。

普通なら頑張れって声をかける状況。
まだ全ては終わってない。これから始まる。
そんな状況だからこそ、すごく心に響いた。

今までやって来たことは間違ってなかったんだなって、肩が軽くなった。一番リラックスして試合できた。勝てなかったけど。

多分、試合が終わった後に言われてたらここまで印象には残らなかった。あのタイミングで言ってくれたことが、試合の結果に対してじゃなくて、今までやってきたこと全てを肯定してくれた。




「頑張れ」
「頑張ったね」

語尾が変わるだけで、受け取る印象がかなり変わる。
そう思わない人もいるかもしれないけど。

特に自分に対して言うのって、圧倒的に「頑張れ」の方が多いんじゃないかな。今まで生きづらいなって思ってきた人は一度は自分に言い聞かせたことあると思う。

もっと頑張れ。
まだ頑張れる。

私は毎日のように言ってしまってる。言い続けてきた。

子供の頃はよく言われてたのに、大人になると人からは言われなくなる。頑張るのは当たり前のように。頑張ってきた過程は見てもらえず、結果だけに注目される。結果が伴わなかったら、もっと頑張れと。

私も高校生のこの時が頑張ったねって言われた最後かもしれない。

大人になると言うのが難しくなる言葉なのかな。人によっては上から目線のようにも感じるかもしれないし、何も知らない人から言われても多分嬉しくない。

だから自分だけは「頑張ったね」って言ってあげたい。
言えるようになりたい。
どうしても頑張れって言ってしまうけど、たまにはよく頑張ったねって過去の自分を認めてあげたい。





この記事が参加している募集

部活の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?