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自己紹介

みなさま、はじめまして。
自己紹介をさせていただきます。


現在

私は、Tシャツ、パーカーなどに使われるイラスト制作のほか、アクセサリーのデザインもやっています。また、スタイリストとしてお客様に合わせたコーディネートの提案をさせていただくこともあります。

今の自分は、好きだから得意だから何かに取り組んできたというよりは、人との縁を積み重ねてきた中でつくり上げてきたと思っています。

幼少期、お金と向き合う

わたしの親は、当時はまだ多くなかったシングルマザーでした。親が一生懸命働いて自分を食べさせてくれているのだといつも感謝していました。
そのため、昔から1円も無駄にせずにお金を大事にしたいと思っていました。
もし億万長者になったとしても、その考えは変わらないだろうなぁと思います。

小学生の頃、命と向き合う

同じ時期に、祖母が亡くなり、人の命とも向き合いました。祖母は子供の私に対しても甘えさせることなく関わってくれました。
ある日、一緒に遊んでいた友達に自分のおもちゃを盗まれました。その様子を祖母は黙って見ていました。友達が帰ってから、そっと取り返したおもちゃを出してくれ、私を叱りました。
私にスキがあるから、盗まれるのだと。祖母は決して威張るタイプではなく、普段は寡黙で必要な時だけ明確に話してくれる人でした。
当時の私は、盗んだ友達が悪いと言ってくれるものだと思っていました。しかし祖母の反応は違っていました。自分の身に起きることは自分で変えるのだと受け止めることになったのです。

祖母が亡くなり、人って本当に亡くなるんだと、腑に落ちました。でも、みんなの前ではケラケラ笑いながら笑顔で祖母とバイバイしました。

「子供はまだ分からないだろうねぇ」
楽しそうにしている私を見て、親戚のおばちゃんはにこやかに言っていました。
分からなくて笑っていたのではありませんでした。もう会えないということがまだ信じられない、とても悲しい、両方の気持ちがあって、辛すぎて分からないフリをしていました。
ところが、無理やりつくった私の笑顔は、その時いた大人たちを和ませました。

4歳頃から、子供は大人が思っているほど何も分かっていないわけではないなぁと感じるようになりした。私はそんな大人たちに気を遣うところがあり、無理して子供らしくしていたのかもしれません。

学生時代、アルバイト三昧

お金を自分でつくりたいとずっと思っていたので、15,16歳ぐらいからアルバイトを始めました。お金を生み出す大変さを実感しながら、どうやって生きていけばいいのか?をよく考えていました。

大学では学費と一人暮らしの費用を払いながら、専攻していた哲学の勉強に加え、カラーアナリストと学芸員の活動にも取り組みました。

それ以外はアルバイトをする日々。食費を減らすために、パン屋で働きました。当時は売れ残ったパンを持って帰ることができたからです。

18歳の頃、アルバイト中に気を失いかけたことがあります。3つバイトをかけもちしていて睡眠不足でした。気を失いかけて後ろに倒れそうになった私に、大丈夫!?と同僚に声をかけられ、自分の限度を把握する必要があると痛感しました。

その後、
支出削減という対策をもってバイトを減らす!
と決めた私がとった行動は、売れ残ったパンを持って帰ることでした。食費は、ほぼゼロになりました。
生きるために働くというのがこの頃は当たり前でした。自分の本当の理想につながる働き方をする必要性は、社会人になってから知ることになります。

厳しく育てられるありがたみ

勉強嫌いなのに大学の授業が面白いと感じたのは自分でも意外でした。
受講した講義の教授は厳しい人でした。意見がハッキリしていて裏表のないところが好きでした。
英語などの勉強面は最下位でしたが、所属ゼミでは1位の成績をとるなど、能力や才能がない中でせっせと動いてなんとかしていくことが多かったように思います。
思えば、関わってくださる教授や講師の厳しさが自分を成長させてくれました。
この経験を通して、明確な人に必要なことを本音で言っていただける自分であることが大切だと実感したのです。

新卒の悔しい経験から気づく

新卒で、よく考えて選んだ会社に入社。研修を終えてすぐ、私は現場で売り上げに貢献していました。その先には本部に入ってやりたいこともあり、昇進を夢見ていました。
ところが、突然、本部の人が自分のいるお店にやってきて、私に直接異動を伝えました。直接伝えるというのは異例でした。
後で知った、異動の理由。それは、私の当時住んでいた家が都合がいいから、とのことでした。
直属の上司やその上のリーダーが、現場に必要な人材だから異動を取り消してほしいと交渉の電話を本部に入れましたがダメでした。
配属先は、どれだけ努力しても給料がほぼ変わらない、さらに昇進が一切ないところでした。
ずっと働きたいと思って入社した会社を、わずか10ヶ月で辞めました。

この時、学んだのです。
“与えられたところで何も考えずに努力するだけでは、自分の管理下にないことが起きてしまう。あんなに考えて選んだ会社で、この結果。自分の判断力や選択の仕方を変えたい。″
現実を変えたいと思うようになりました。

満足しているけど最高ではない

その後アルバイトでライティングの経験を積み、広告制作会社に入社してコピーライターになりました。
当時は終電で帰るのが当たり前で、月の3分の1は終電には間に合わずにタクシーで帰宅していました。あの頃の私は、その時間構成を辛いとは思わず、むしろ喜んでいました。
仕事が好きで、取り組む案件一つひとつに刺激があり楽しかったのです。
大阪の都心部にあるショッピングモールの広告制作に携わり、自分のキャッチコピーを入れたポスターが広い駅構内に張り出された時は感動したのを覚えています。
自分がメインの案件もいくつか任され、給料も上がり、これからもさらに上がっていく見込みがありました。この状況に満足はしていました。

とはいえ、このまま続けると自分の体はどうなっていくのだろう?感情だけでいうと、仕事が楽しい!しかし、頭で考えた時に、このまま続けるのは体が厳しいのではないか?という気持ちが出てきました。

社会人になってから読書スタート

コピーライターなのに本を読まない、と周りにいじられていました。同僚のみんなは活字が大好きで、自分とは違うタイプの人ばかりでした。
先輩に本をすすめられ、しぶしぶ読み始めたのをきっかけに、読者が少しずつ習慣になっていきました。

ある日、知人を通して知り合った社長がたくさん読書をされていたので、オススメをお聞きしました。
(にやり、、、)
あの笑顔はいったい?、、考える隙もないまま、奥の部屋からたくさんの本を持ってこられました。

アルバイト三昧の過去を乗り越えてきた私に、急に訪れた読書三昧。
とはいえ、嬉しかったです。自分が前に進む感じが心地よく、ワクワクしました。

人との出会いや読書を通して、色々と考えるようになりました。
現状を維持するのではなく、さらなる変化をさせるために、退職を決意。

時間をつくりやすい仕事に変えて、人との縁を大事にしていく中で、自分のライフスタイルに変化が起きました。
自分で自分の人生を切り拓きたい思うようになり、読書の価値を教えてくださった社長に経営のイロハを学び始めたのです。

自分の人生をつくる

経営をしてから、経営者になる。
それが私の常識でしたが、その社長のおっしゃることは違っていました。
「どんな時も自分が経営者として行動しなさい。」
会社を立ち上げてもいない自分が!?と思いましたが、その前提を意識してから、当たり前だと思っていたことに感謝するようになり、自分が本当はどうなりたいのか?考えるようになりました。
経営をまなぶというよりは、まるで人生そのものを学んでいる感覚でした。自分の人生を本気でつくるトレーニングのようでした。

いつかこうなりたい、だはなく、今その自分を生きよう。
そんな姿勢で毎日を過ごし、現実が少しずつ変わってきました。

新しい友人もでき、一緒に仕事しようと声をかけてくれる仲間もできました。やりたいことを自由にやるのではなく、人に喜ばれることは何か?を考えて行動するようにしました。

イラスト制作をスタート

″まず自分の魅力に気づくこと、その魅力をさらにUPさせること。″
そのアシストをさせていただきたい想いでアパレル商品のイラスト制作を始めました。

また、楽しみながら一生懸命生きる人の姿をイメージして、日常にちょっとユーモアを取り入れていただけることを願って描きました。

好きだから始めたのではなく、やってほしいという声や一緒にやりたいという声をかけてくださった周りの人たちのおかげで形にすることができました。とても感謝しています。

最後に

未熟ながらも精一杯やるのが、わたしにとって必要な経験に違いない。
望む未来に向けて、これからも歩み続けます。

みなさま、どうぞよろしくお願いします。








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