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ニューヨークフェロー滞在記<プレ>その2


6月28日 動物園

・スミソニアン動物園へ。パンダとアメリカの動物たちを目当てに。アメリカビーバーがゆるくてかわいい。

・やけに周囲からスペイン語が聞こえる。よくよく見れば、案内表記も英語とスペイン語のバイリンガルだった。アフリカン・アメリカン博物館にはなかったと思うが。調べたらラティーノの人口は20%。

・カフェの窓際の席で「電話演劇とその分身」の修正作業をしていたら、窓越しに白人男にどうやら挑発されたらしい。はじめはからかわれていると思わなかったのだけど(そもそも目的がよくわからない)。

いったいこれはなんだろう? と思いつつ、まあまあ不快ではある。友人に「中指立てたらよかったのかな?」と相談したら、「こちらにも非があると言いがかりつけられるからやめとけ」と。次こういうことがあったら(きっとあるだろう)ビデオでも撮ってSNSにアップしようか。そっちのほうが危険か?

・今度受講する英語教室のテストをオンラインで。学力の選別のためなのに2時間もかかる。スピーキングがボロボロ。

・毎日1400円のハンバーガーを食べている。美味しくない

6月29日 ネイティブアメリカン博物館

ワシントンDCは博物館や美術館がすごい数ある。細長い公園の両サイドにひとつひとつがとんでもなくでかい博物館がひしめく。しかも無料。

ネイティブ・アメリカン博物館へ行こうと思ったのは、Festival Trans Ameriqueをはじめ、身の回りで先住民を適切に位置づけようとする動きをきくようになってきたから。知っておくに越したことはない。

でかい

ピースメーカーを紹介するアニメーションから展覧会はスタート。冒頭、アメリカがそうであるように「ネイティブネーション」と呼ばれるネイティブアメリカン連合も国家であることが強調される。そして、そこで交わされた条約が、ことごとくアメリカに反故にされてきた歴史が、ネイティブネーションとアメリカ双方の視点から振り返られる。

この博物館の視点がおもしろいのが、植民者たちが引き起こしてきた非人道的な振る舞いだけでなく、アメリカが条約違反をしていることを問題の中心に据えていること。侵略をしてはいけないという倫理的な問題ではなく、条約違反という法的な問題として記述されているのである。

もうひとつおもしろかったのは以下の記述。「ネイティブアメリカンの移転政策は、ネイティブアメリカンにとっての悲劇的な話というだけでなく、アメリカ的な価値観に対する裏切りである」という記述。このアメリカ的価値観というのは、自由という概念のことであり、研究テーマである民主主義を指すのだろう。アメリカって何だろう?

3階ではネイティブアメリカンの作家Robert Houleの展示が行われていた。「ネイティブアメリカンが文字を使わなかったので、色や形などの抽象で表現を行った」というようなキャプションがあり、盛りすぎでは? と思った。

かわいい。民俗的な展示はあんまりなかった。

ハーシュホーン美術館へ。草間彌生展、中国現代写真展、常設展など一通り。ゲリラガールズの作品は実物(?)を見るとテンションが上がる。イギリスの映像作家、JOHN AKOMFRAHの展示が良かった。映像のモンタージュ作品で、語られることは自然環境保護のようなことであまりおもしろくないのだけど、6面映像の各所にリンクしたりしなかったりするサウンドと、それによる視線の誘導がとても心地よい。

でかい
あの人のあれ
よい

アメリカ美術館へ。せっかくアメリカに来たんだし、ジャクソン・ポロックやマーク・ロスコでも見るかと思ったら、残念ながら彼らが展示されていると思しきフロアは閉じられていた。

アメリカのナショナル・シアターの前を通った。あまりにしょぼい外観にびっくりする。

しょぼい

6月30日 アメリカ歴史博物館

でかい

アメリカ歴史博物館へ。アフリカン・アメリカン、ネイティブアメリカンの歴史を辿り、ようやくアメリカの「正史」を見る。朝、ガイドツアーをやっていたので参加。20人くらいのツアー参加者が自分を除き全員白人なのが違和感。周りの客層的にも白人層が多め。星条旗、南北戦争の遺品、ファーストレディのガウン、ジェファーソンの鞄など、めぼしい展示を1時間でハイライトする。

てっきり歴史を通史として展示しているのかと思ったら、いくつかの部屋ごとにテーマが設定されていて、カテゴリごとの歴史を紹介している。たとえば民主主義、戦争、エンターテインメント、車、船、など。改めて考えると、国としてのの歴史が250年、その前史を含んでもわずか400年しかないということにびっくりする。日本で言えば戦国時代からの歴史しかない。彼らの歴史は石器や土偶から始まっていない。

あれ
マイケルじゃなくてプリンスなのが意外

そうなのか? 「アメリカの歴史」に先住民の歴史を含んだら、膨大な年月を語ることができる(それは歴史の収奪になるのだろうか?)。ネイティブアメリカンの歴史が「アメリカの歴史」ではないとしたら、ここで語られる歴史とはなんだろう?

ひとつの展示室がラティーノ特集をしており、よくよく聞けば、ラティーノ博物館を建築する計画があるらしい。コロンブスの新大陸”発見”に始まり、独立戦争〜南北戦争へと続く正史に対して、ネイティブアメリカンにも、アフリカン・アメリカンにも、ラティーノにも別の歴史がある。人種ごとに歴史があるというのは健康的な状態なのかちょっとわからない(サブカテゴリに対して寛容という態度で、正史を強化しているような気もする)。

いや、しかしどうなんだろう? ひとつの歴史に回収することは普通に危険でもある。問題なのはメインとサブに位置づけられてしまう構造なのか。


ラティーノ特集

聞けば、アフリカン・アメリカン博物館も、このように歴史博物館のひとつのカテゴリから独立したんだという。それは、彼らに独自の歴史を語る場を提供しているとも言えるだろうし、アメリカの正史から切り離しているような気もする。

ひとつの展示で、Who were included? というキャッチコピーがあったのだけど、こちらとしては、Who include? のほうが気になる。包摂する主体は何者か?

もしかしたら、それは「アメリカ」なのかもしれない。USという時と「アメリカ」あるいは「USA」という時の微妙なニュアンスの違いがあるような気がする。

ラティーノ特集のところで学芸員さんが雑談してくれたので「AOC(アレクサンドリア・オカシオ=コルテス)人気ありますよね」みたいなことを言ったら、「個人的には好かんねん。あいつ、全然うちらの代表ちゃうし。自分の利益のことばっかやん」みたいな返答だった。あと、「ラティーノの定義って?」って聞いたら、「定義ないねん。メキシコもキューバも、プエルトリコもいるし、原住民もいるからいろいろやねん。多様やねん」ということ(英語の会話はどれくらい聞き取れてるか心もとないので話半分で聞いてほしい)。

閉館まで少し時間があったのでナショナルギャラリーへ。ここでもやっぱりジャクソン・ポロックやマーク・ロスコの部屋はお休みだった。なぜだ。

iPhoneによれば連日13-14キロくらい歩いている。

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