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進化する行動療法-関係フレーム理論

お久しぶりです。心理系専門職をしている湊ノドカです。
ここでは前回の記事に引き続いての内容を書いていきます。前の記事の内容を確認したい方はこちらのリンクからどうぞ。

既存の理論による言語学習・その疑問点

前回の記事で書いていた点の続きです。

行動分析や学習理論は、人間の言語や思考の獲得過程について十分に説明していないと指摘されました。
しかし、実のところ全く説明できなかった訳ではなく、当時の既存の理論=レスポンデント条件付けとオペラント条件付けでの説明はされています。
行動科学者達は多くの行動と同じように、言語行動を身につけるのもこれらの条件付けであると考えていました。

具体例でみてみましょう

Photo by Ana Tablas on Unsplash

まだ言葉を話せない乳児が、ふいに「まあ"ー」みたいな声をだす

  1. 周りの大人は、いつも以上にその子に注目し誉める

  2. 発声⇔注目・誉める が繰り返し起きる

  3. そのなかで「まあ"ー」が「ままー」のように聞こえることがある。周りの大人は「「まま」って言ったよ!」など、より一層注目する

  4. 子どもにとっては注目や誉められることは報酬として機能するため、より一層「まま」に近い発声になる

  5. 「まま」という発声のあと母親が近づいてくることが繰り返される

  6. 「まま」=母親を指す言葉と理解するようになる

  7. 「まま」という言葉が、母親を見るときと同じような知覚体験を起こすようになる

最初の言葉はこのような「学習」によって形成されるというのはある程度納得がいくものではないでしょうか?多分、当時の研究者たちもここまでは異論なかったのではないかと思います。
ただ言語能力は成長につれて飛躍的に伸びていきますが、その飛躍的な伸びを全てこの理論で説明できるでしょうか?

皆さんも疑問をお持ちだと思いますが、僕たちは、全ての言葉と物事の関係性をこのような条件付けによる学習で身につけてきたでしょうか?
例えば、今「関係性」という言葉をだしましたが、僕が覚えている限りでは、僕が「関係性」と発声したことを誉められたことはありませんし、「関係性」と発声したあとに「関係性」という言葉が指し示す状況が現れるという事態もなかったはずです。

当時知られていたレスポンデント条件付けやオペラント条件付けといった「学習」の仕組みでは、これらの疑問に答えうる説明はできませんでした。しかし、今はそうではありません。
(しかし、ごく最近でも(おそらく意図的に)学習理論や行動分析をその当時と同様に扱い貶める発言や書籍は散見されます。残念…)



内包と派生的刺激関係

やっとたどり着きました。本題のレスポンデントやオペラント条件付けではない言語学習についてです。
これは言語学習に困難がある子ども達のスキル習得についての研究で発見されたところから始まるようです。この研究は1970年代のものです。

Photo by Marisa Howenstine on Unsplash

新たに分かった「学習」というのは次のようなものです。実験のおおまかな構成と結果についてみてみましょう。

  1. 「A」という言葉を提示したあと、「A」とは互いに関連のない「B」という言葉を含む沢山の言葉を提示。そのうちから1つを選択させる(ここでの「A」「B」やその他の言葉は「ajp」のような無意味な文字列か図形です。互いに関連性がなく、これまで見聞きしたことがないものです)。

  2. このうち「B」を選んだときのみ報酬を与え、「B」を選ぶという反応を強化していく。

  3. 1~2を繰り返すことで、「A」を見せられたら「B」を選ぶという反応が定着する(ここまでは「オペラント条件付け」です)

  4. ここで一旦条件を変える。先に「B」を提示し、その後「A」を含む互いに関連のない沢山の言葉を提示し、そのうち1つを選択させる。

  5. この場合、子供は「A」を選択する確率が他よりも高くなる。

さて、ここで何が分かるでしょうか?
もしかしたら、そんなの当たり前、と思う方も多いかもしれません。

ただ行動分析の視点から見ると、これは驚きの事態です。
行動学派は5.のよう状況が起きれば、この「行動」はどこかで「学習」されたものだと考えます。
しかし「学習」には、繰り返しその状況を体験することと、選んだ結果に対する報酬が与えられるという体験が強化される履歴が必要です。
この実験ではそれぞれに関連性がない無意味な言葉や図形が使われているため、子どもたちが事前にどこかで学習していたはずもありません。
「A」→「B」は学習したけれど「B」→「?」という場面は一度も学習していません。それなのに「学習」したのと同様の反応をみせているからです。
驚きなんですよこれは。

仮に実験に参加したのが訓練された犬であれば「A」→「B」は習得できますが、条件を変えて「B」を先に提示されると、その後に選択するものは完全にランダムになります。これが犬ではなく言語訓練を受けたチンパンジーでもやはり同様です。今のところ人間以外の種では、この種の学習が説得力をもって示されたことはないそうです。
表面的には動物にも言葉を教えられるように思えます。動物は教えられたことそのものを学習はしますが、人間の子供たちは教えられたこと以上のことまで自然に学習してしまうのです。
しかし、人間も生まれつきこのような能力を持っている訳ではないようです。この種の学習は2歳以上になるとみられるようになってくるそうです。

この研究で分かったことは、
僕たちは「A」→「B」ということを学んだとき、
自然に「B」→「A」という関係を「内包」させ、派生的に学ぶということです。

また上記の実験に加えて「B」→「C」という関係も学習したとします。
するとここでも当然「C」→「B」という関係が派生して学習されます。
さらに「A」→「C」と「C」→「A」についても、直接学習した経験がないのに派生して学習されます。

前者の内包を相互的内包、後者を複合的相互的内包と言います。

基本的には内包関係の学習は、あれとこれは同じ、という関係性の理解になりますが、「A」が「B」より大きいという場合なら、「B」は「A」より小さいという意味を派生させ正確に学習することもできます。しかしこれが成立するのは相互的内包の場合に限ります。
複合的内包の場合には正確さが保たれるとは限りません。「たけしはのび太より大きい」「スネ夫はのび太より大きい」であったときに、たけしとスネ夫の大きさの関係を正しく理解することはできません(論理的に考えてもそうなのですが)。

Photo by Alexander Dummer on Unsplash

子供の言語獲得の過程を考えてみましょう。
最初期のオペラント学習によって簡単な言葉を覚えた子がいるとします。
この子供が「あれ何?」と親に尋ね、「あれは〇〇だよ」と教えます。
オペラント学習以前の理論に従えば、この過程を繰り返し行うことで「あれ」→「〇〇」ということが学習されるが、「〇〇」→「あれ」は成立しないというものでした。
しかし内包関係のような、特別な学習がなくとも成立する関係「派生的刺激関係」が存在することによって、実際の言語学習は爆発的に加速します。
たとえば「あれは信号」「信号のなかには丸、丸、丸」「丸は赤」「赤はりんご」「りんごはメロンより小さい」「大きいメロンと信号の丸は同じ色」…のように派生して繋がっていっているのでしょう。
このような学習機能が成長段階で獲得されることによって、ものすごい速さで子供は言葉を覚え、言葉だけでなく関係性等も直接教わっていないのに派生させて学習することができるのです。
小さな子供が言葉を覚えていく過程で、いつの間にそんなことを覚えたんだろう?と驚いた経験がある方もいるのではないでしょうか。



恣意的な関係づけ=関係フレームづけ

相互的内包や複合的内包は大まかに言えば、あれとこれは同じという関係など、直接学んでいない関係を派生させて「学習」できるということでした。

次に紹介する「恣意的な関係づけ」は、それらとは異なりますが、言語の習得や利用の上で重要なものです。これも内包と同じく、一見「学習」した痕跡がないのに出来るようになっているものです。人間にとっては当たり前に思える為それ以前には発見されていませんでしたが、動物との比較によって人間の言語学習に見られる特別なものであることが分かってきました。
この概念が発見されることで、行動分析学は今まで説明できていなかった言語の学習や利用についての現象を、さらにもう一段階説明できるようになったと言えるでしょう。
説明にあたっては、逆の「非恣意的な関係づけ」から見ていきましょう。多分こちらからの方が分かりやすいと思いますので。

Photo by Dan Dennis on Unsplash

例えば
サルにいくつかの棒を提示し、その中から一番長い棒を選んだ時にのみ報酬を与えるようにし、これを繰り返し行います。
そうすると、いくつかの棒の中から必ず一番長い棒を選ぶということを学習します。
仮に、何度か報酬をもらえた特定の棒「S」があったとします。「S」を含めた棒を沢山提示したとしても、やはりサルはその中から一番長い「S」ではない棒を選択することができます。
ここからは、特定の棒と報酬を結びつけて学習したのではなく「一番長い」という抽象化された性質に基づいてこの棒を選ぶことができたことが言えるでしょう。

こういった「棒の長さによる判断」のような(一番大きい石、最も黒いバナナなども)、形態的または物理的性質に基づいて物事と概念を関係づけることを「非恣意的な関係づけ」と言います。また特定のものと報酬/罰の組み合わせによって確立する関係も「非恣意的な関係づけ」と言えます
人間以外の動物もこのような学習をすることで、抽象化された物理的性質に基づいて行動することが可能です。

では「恣意的な関係づけ」とは?
こちらも実験の例から考えてみます。

「*」「@」「!」という3つの記号があるとします。
これらを僕たちはどう関係づけるでしょうか。形態的・物理的な面から見れば、読んだ順はおそらく「*」「@」「!」となるでしょう。また記号の大きさという面では「@」>「!」>「*」となるでしょう。
またこれまでの人生の中で「@」という記号にトラウマを持っている人であればこれを見た途端に気分が落ち込んだり、もしくは良いイメージをもっている人であればワクワクしたり、といった反応がでることもあるかもしれません。これらは「非恣意的な関係づけ」です。

ここで皆さんの頭の中で新たな関係を足していただきたいと思います。
それは 「!」>「*」>「@」 という関係です。

関係性が理解できたら、さらに次の問題です。
私から皆さんに一定のお金をプレゼントします。
「*」「@」「!」これらのうちから、1つの記号を選択してください。
仮にそう言ったとすると多くの人が「!」を選ぶでしょう。

Photo by Alexander Mils on Unsplash

また少し不快感を覚える電気ショックとともに「*」を何度か提示したあと、
「*」「@」「!」なかから1つを選んでください。
そう言われたとすると、多くの方は「@」を選ぶのではないでしょうか。

どちらも初めて体験することで、これまでの学習など何もありません。
そして「非恣意的関係づけ」によってこれらを理解することもできません。
ですが、通常ならば多くの人が上に挙げたような反応をとります。

なんとなく分かってきたかもしれませんが、
「恣意的関係づけ」というのは、物事の形態的・物理的性質によって影響されずに、まさに「恣意的」に(「任意」という言い方でもいいかも)物事と物事を関係づけること、と言えます。またこの関係づけには、物事に付随しておこる報酬/罰といった学習履歴すら必要ありません。
実際先程の例は全く初めての場面だったはずですが、その文脈において適切で上手な選択ができたのではないでしょうか。

「恣意的関係づけ」をすることで、体験もせずに物事の関係や機能を変換することができ、「!」=大と理解したように、物事に対して、本来それ自体が持っていない機能を与えることすらできます。
日常のなかでの「恣意的関係づけ」は、主に社会的な文脈による影響を受けています(僕たちは「赤は止まれ」ということを知っていますが、「赤」と「止まれ」には本来何の関係もないはずです)。
この能力があることで、僕たちは言語機能をより拡張したシステムとして利用できることようになったと言えます。



まとめ

いかがでしたでしょうか。
前回記事で提示した問題「行動分析学は、人間の高度な言語や思考の獲得過程について説明していない」ということに対して、いくらか納得のいく説明になっているのではないでしょうか?

今回僕が書いた理論の説明は端折っている部分も多いので、ツッコミ所はいくらかみつかるかもしれません。
ただ元々の研究の理論構築の精度はかなり高いようなので、おそらく大抵の気になることについてエビデンス付きの回答は存在するのではないかと思います。

今回説明した「内包」「恣意的関係づけ」はめちゃくちゃ便利で素晴らしい能力ですが、実はそれと同時に危険や厄介さも孕んでいるものです。
そういった厄介な面が、精神的な不調や症状を起こしたり悪化させたりすることに一役買っていたりします。
次回はそのあたりについて書いていきたいと思います。


参考文献


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