受け入れる≠理解する『彼女が好きなものは』

ゲイでありながら、いずれ結婚して子どもを作って幸せな家庭を作るという”普通の幸せ”を望む高校生・安藤純。”普通”でない自分に葛藤する彼は、偶然BL好きという秘密を知ってしまったクラスメイトの三浦さんと親しくなる。やがて安藤は自身がゲイであることを隠したまま、二人は交際を始める。

 当人たちにしかわからない悩みがある。これはどんな悩みだってそうで、LGBTに限られた話ではない。他人の悩みを理解したつもりになるのは勝手な気がする。でも理解したいと思うことは悪いことではないはず。映画で描写されると感情移入しやすいから、涙を流してわかった気になりがちだ。しかし、本当にわかっているのか、理解できているのか疑問だ。これは自分に対して言えることであると同時に作品の中に対してもいえること。この作品で描かれているのはまさに現代だ。BLの漫画の売り上げが上がって、テレビドラマなどのメディア・コンテンツでもしばしば扱われる題材となった。シリアスに描くこともあれば、コメディ調で描くこともある。どんどん身近に感じられるようになる。どんどん理解した気になる。メディアを通じて接触することで、抵抗感は減るのかもしれない。しかし、いざ身近な他人がカミングアウトして好奇の目を向けずにいられるだろうか。もっと身近な人だったとして、すんなり受け入れられるだろうか。正直経験してみないとわからない。今理解しているフリをしても無駄だ。「安藤くんのことは他人事にしたくない」という三浦さんの言葉は印象的だった。

 「気持ち悪い」と思うことがタブー視されるのも違うのだなと思ったのが『青のフラッグ』という漫画を読んだことがきっかけだ。男性に痴漢された経験のある男子高校生は、ゲイを気持ち悪いと思ってしまうことを告白する。でもそこには悪意や軽蔑なんてない。わかったふりとしてしまうのも、理解しなきゃいけない、受け入れなきゃいけないと思うからこそであって、それはこそ安藤くんを葛藤させていた固定観念というものではないだろうか。当然わざわざ傷つけにいくのはアウトだけどね。人を傷つける多くの場合は自分を守るためだしね。人は理解できないものが怖いというもいうしね。

 ところで最近リリーのすべてという映画を見た。これは性同一性障害をもった人を描いた作品だった。エディ・レッドメインの演技は繊細で本当に引き込まれた。この時代に比べたら、現代の社会はだいぶ変化しただろう。それでも生きづらさを抱えて苦悩している人はたくさんいる。どういう悩みであれ、まずは身近な人から他人事で片付けずに向き合えたらいいと思う。自分の悩みも含めて。

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