『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.31「ロスジェネの逆襲」
「争いのない世界にしたい」
漠然とした、そんな思いがある。けれど、少し冷静になってみると、ルールの中での争いは楽しいものだ。スポーツだって、ボードゲームだって、ビジネスだって、誰かと競い合うのは楽しい。そう考えると、争いのない世界というのは、それはそれでつまらない世界、ともいえるのかな。そんな話を友人にしたら、この本を紹介された。
ご存じ「半沢直樹」の続編。子会社に出向となった半沢に、またしても理不尽な買収案件が舞い込む。責任を問われる半沢がとった秘策に、思わず息をのむ。やっぱりこの爽快感が癖になるよね、と初めて池井戸作品を小説で読んだ僕はしたり顔で友人に告げると、そこから追加で2冊ほど池井戸作品を貸してくれた。
半沢の答えは明確だった。
「仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる。自分のためにした仕事は内向きで、卑屈で、身勝手な都合で醜く歪んでいく。そういう連中が増えれば、当然組織も腐っていく。組織が腐れば、世の中も腐る。わかるか?」
仕事は世のため、人のためにするものだ。本当にその通りだと思う。けれど、僕は一つ付け加えたい。仕事は自分のためでもあるのだと。
自分のために仕事をするのは、悪いことではない。ただし、自分のため「だけ」に仕事をするのがダメなのだ。結局、人は「自分のため」でしか動けないし、動かない。そういう生きものだ。だから「自分のため」でいいと思う。思うけれど、自分のため「だけ」ではダメだから、自分のためでもあり、相手のためにもなるように、仕事をするのが良い。
「自己犠牲」というのは、こと日本においては美談で語られる風潮があるけれど、というか僕もついこの間まではそれを美しいと思っていたけれど、今ははっきりと否定したい。自己犠牲は、結果的に誰のためにもならない。一番良いのは、「自分のため」でもあり、「世のため人のため」でもあり、という「犠牲者のいない状態」だ。
半沢直樹は自己犠牲ではない。自分がそうしたいからしているのだと思う。むしろ、どれだけ止められても、我慢ができないのだ。組織の不正を許せない、自分が正しいと思ったことをする。自分がそうしたいからしているのだ。そして、それが世のため人のためだと信じている。もちろんそれは一つの考え方だし、生き方だし、憧れる。自分もこう在りたいと願う。けれど、あくまでそれは一つの考え方で、少なくとも「そうしたいからしている」という点では、きっと僕らと根本的には変わらないんじゃないかな。
冒頭の「争う」についても、自分のためでもあり相手のためでもある。そんな競争なら、良いのかもしれない。切磋琢磨とでもいうか、いわゆる「争い」にも良し悪しがあるのかもしれない。ということは、「争いのない世界」ではなく「不毛な争いのない世界」が、僕の目指したい世界なのだろうな。
漠然とした思いが、また一つ更新されたと、この感想文を書きながら思った。
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