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『友人の本棚~1分で読める感想文~』Vol.54「並べて学べば面白すぎる世界史と日本史」

歴史について、もっと真面目に勉強しておけば良かったと後悔したことがこれまで7回くらいある。「それは中世のヨーロッパでの……」とか「元はといえば十字軍が……」とか話題になっても、正直ついていけないときに、自分の教養のなさに憂いたからだ。その都度、「やっぱり歴史を勉強しよう」と思うのだけれど、何を読んでも全く頭に入ってこなくて、諦めていた。

そんな中、8度目の「歴史を勉強した方がいい」という啓示(?)が訪れたときに、友人が紹介してくれた本。勉強をする上で「知りたい」は大いなる力になると実感した。

七二六年、レオン三世が聖像破壊令を発布します。
いまでもキリスト教の宗派によっては、聖像をはじめとする偶像を「拝んではいけない」と布教するところもあります。偶像とは神様という唯一の存在の本物ではないもの、つまり偽物で、私たち日本人でも知っている言葉でいえば“アイドル”です。偽物だから禁止するということですが、ローマ帝国では聖像の崇拝は、長らく公認されていました。ですから、聖像破壊令は、要するに、東と西の喧嘩である、ということになります。

そもそも聖像破壊令を知らなかった僕としては、なるほど過ぎて絶句した。そうか、神聖なる偽物はアイドルだったんだ。一時期、中国のパクリ問題(ミッキーの偽物とか、ドラえもんの偽物とか)に対して「頭おかしい」って報道されていたけれど、あれも聖像破壊令と同じ思考だったのか。

もう一つ。

たとえば教会から「魔女かもしれない」と疑われたら捕まえられます。魔女が逃げたらたいへんですから。そして、重い石を括りつけて池に沈めます。沈んだら人間、浮かんできたら魔女なので火あぶりにします。どちらにせよ死刑ではないかと思われるかもしれませんが、そのとおりです。神の名によって疑われたこと自体が有罪の証拠なのです。この話を聞いて「女の人はたいへんだなぁ」と思ったら、甘い。「魔女は男にも化けられる」などと魔女狩りで火あぶりにされた男性もたくさんいます。
近代刑事裁判では「推定無罪」が大原則ですが、それは、こうした「推定有罪(死刑)」の時代への反省からなのです。

「推定無罪」の大原則は、魔女狩りから来てたことも知らなかった。今の平和な暮らしというのは、歴史の上にあるのだと改めて感じた。

最後に一つ。

なぜか最近は一次資料のごとく重用される『信長公記』など、現代の感覚でいえば「総理バンキシャ回顧録」の類です。

たしかに、当時の資料として出てきたものを僕らは「一次資料」として扱いがちだけれど、そもそもその当時の資料がどんな目的によって書かれたものなのかを考える必要があるなと思った。もしも今から1000年後に「東スポ」を一次資料として扱われたら、同じ時代に生きた人たち全員がバカにされる可能性すらある。それだけはやめて欲しい。

歴史、もっと知りたい。そっちのモードに入ってきた。

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