見出し画像

友だちに恵まれてる(24/6/20.thu)

高2の冬休みから高3の新学期が始まるまで、日が経つごとに鬱の症状が悪化していった。

入試が終わって、落ち着いたら鬱になってから治るところまでの終始を、より深く自分の為にも記録したいと思う。

勉強も部活も何事にも全力で頑張っている友だちが身近にいた。その子は性格も良くて、面倒見も良くて、いつも助けてもらっていたのに、そんな完璧な友だちと比べることが多くなってしまい、話すのが嫌になってしまった。少し前まで2人で出かけたり、他愛も無い話をして2人で大爆笑したりしてたのに。なんなら、その子の相談に乗ったりして、“私と違って、思いやりのある子はそんなことで、こんなにも悩むんだ”と素直に思ったときが確かにあったのに。
一緒に撮った写真を見返したりして、あんなに仲良くしてたのに、前までこんなこと思わなかったのに、どうして??と思ったりしつつも、学校では極力話したくなかった。無意識に避けてしまっていた。
その子はいつも頑張っているのに、それに対して自分が今まで頑張ってきたことってなんだろう。その子より勉強だけは頑張ってきたつもりだけど、受験期にすぐに抜かされてしまうのではないか。何事にも勝つことはできないのではないか。

その子が凄いのは部活だけじゃなくて、周りのことがよく見えて、気を遣うのが上手かったり、家族も友だちも大切にしてて、自分磨きも怠らず、ずーっとニコニコしてて、とっても可愛いところ、あげたらキリがない。

春休み中が自分のなかで1番しんどくて、部活に行くどころか外に出ることもできなかった。そんな私を心配して、LINEを送ってきてくれた友だちが5,6人もいた。特に自分から見て完璧なあの子は、私のことをとても心配してくれて、自分は返信しないのに、毎日LINEを送ってきてくれた時もあった。
”今日は〇〇するよ!“,”しんどかったらいつでも相談乗るよ“,”休むことも大事!自分のペースでね”
心の中では嬉しいのだけど、返信できなかった。みんな部活頑張ってるのに、自分は今まで頑張れてない。みんなと熱意が違う。心配してくれてるけど、本当は来いよって圧かけてるんじゃないか、って思って、正直部活どころか、このままでは学校も行けないと思ってた。

けれど、頑張って学校に行ったらみんなニコニコで、「待ってた!よかった学校来れて!」って喜んでくれて、「いつでも相談乗るよ!」と言ってくれて、みんな自分ごとのように喜んでくれた。

それから2ヶ月半も経って、やっと今日、初めて自己嫌悪に陥らずに、その子のことを心から凄いな、って思えるようになった。本当にこのことが嬉しい。以前と同じように、相談に乗ったり、乗ってもらったり、たくさん話して笑ったり、一緒に勉強もした。楽しかった。


2月ごろに私が進路について悩んでいた時、「大学に行っていろんな人に出会うと、この人の生き方好きやな〜とか、たくさんの発見があるし、いろんな人と出会うことで人生観が変わるよ。大学に行かないと勿体無いよ」と相談に乗ってくれた先生が言った。
そのときの自分は心が病んでいて、人のこと凄いと思うと、自分がダメ人間に思えてきてしんどくなってしまうと思い、そんな人と出会えるなんて思えなかった。けれども、この数ヶ月で自分の考え方が一気に変わって、思考の偏りが前より少なくなった思う。

初めて“生き方がかっこいい”と思える人ができた。


自分の笑顔で、友だちが元気にできたら嬉しい
だからいつも笑顔でいる!!
サラッとこんなことが言えちゃうなんて、凄すぎるよ笑

今では、尊敬できる人と高校で出会えるなんて自分は恵まれているな、とまで思う。

別にその子になりたいわけではない。その子の生き方は素敵だと思うけれど、その子のが見本で全て正しいなんてことは、もう思わない。良いなって思うところは素直に見習い、なによりも自分を高めて大切にしたい。

あと数ヶ月で私は18歳になる。大きくガラッと何かが変わってことは無いのだろうけれど、少しずつ考え方が変わり、心が成長して、大人に近づいた気がする。

自分がしんどかったのは周りと比べてしまったこともあるけれど、それだけではないことが分かってるので、また整理してから書きます。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?