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私がHSPだと気付いた話。

はじめまして。1987年生まれ、大阪在住。minamiと申します。

2020年に起こった大きなパンデミックの中、私は自分がHSPだと気付きました。少し話題になった事柄でしたが、自分自身を見つめ直すきっかけになり務めていた会社を退職して、これから私に出来ることを現在模索中です。

2020年になったときの話です。当時お付き合いしていた彼と結婚したいと思っていました。でも、その時はこんな気持ちになるまでと思っていなくて、まだプロポーズもされていないのに、具体的に結婚となると今の仕事はどうなるんだろうと考えました。

短大を卒業してからは、目標ややりたいことも分からず、4年事務職のアルバイト、2年アパレルショップ販売員のアルバイトをしていました。事務職、アパレルと経験して、行き着いたのがオーガニックコスメ。ずっとアルバイトしかやったことがなかったので自立心が芽生えて、次の仕事では会社員になりたいと思っていました。

オーガニックコスメショップの会社は未経験も受け入れてくれますが、美容学校や化粧品の知識もない私にとって26歳でゼロからの経験、すごく頑張りました。とても大変でしたが、オーガニックコスメの知識は興味深いので夢中で取り組み、その中で社員試験、店舗運営や役割の勉強、人とのコミュニケーション、色々なことを学び、会社を通して社会を経験させていただきました。正社員試験にも合格して、店長の役職も担うようになり少しだけ立ち止まったときでした。

その時、知人の紹介で出会った彼は、自ら個人事業主となってフリーでお仕事をされている方でした。もちろん私には分からない大変なことがいっぱいだと思いますが、自分でチョイスして夢中で仕事を全うする。ストレスはないと言い切れるところや、縛られていない仕事のやり方に魅力を感じていました。

私は私で、今まで仕事をこんなに頑張ったことがなかったので、ここまでの過程に誇りを持っていました。ですが、店長職は不規則な生活。責任感でいっぱいでしたが、心は疲弊していました。

自分にとって、その時の仕事内容と結婚の両立は出来ないとどこかで分かっていましたが、今までの経験を犠牲にする覚悟がなく、彼とのお付き合いも平行線になり、気持ちのすれ違いもあって結局お別れしてしまいました。

そんな中で起こったパンデミック。強制的な自粛期間は何かをしようと思うことも出来ない日々でした。不安感も高まり、いつ館が営業再開になるかも分からないので、身体は休めましたが気持ちはとても休まりませんでした。その期間でYouTubeにハマり、知ったのがHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)でした。

HSPの性質といっても、その人の家庭環境や性格、その時の感情なども複雑に絡み合うので、一概にHSPと一括りにするのは私も好きではありません。それでも、これは私だ!と分かったときにものすごく安堵しました。何かを頑張らなくちゃいけないと思っていたけど、今までどこかで生きづらいと感じていた。私は繊細だったんだと分かりました。

そこからは、いい意味で自分に期待をしなくなりました。店長職は私にとってとても大変で、繊細な自分だからこそ出来ることはあると思うけど、余裕がないので上手く発揮出来ていませんでした。とにかく気持ちが滅入っている日々だったので、このままではいけないと思い、再就職先のことも考えず、コツコツ貯金だけして、2020年いっぱいで退職させていただきたいとお願いしました。

退職してからは、しっかり気持ちを休ませる日々でした。身近にいる家族から改めて愛情を実感できたことも2020年はいいことだったと思います。

今後私がやりたいことを発信させていただきます。

・自分のことを大切にして誰かのことを幸せにします。

・一人暮らしでも同棲でもなんでもいい。居心地のいい空間を作り上げます。

・女性も男性も、動物も自然も守りたい。その為に勉強をします。

・自分のやりたいことでお金を稼げるように取り組みます。

もし、ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございます。前職で経験したこともこれから役立てていきたいので、興味に思ってくださることが、また私から発信できていれば嬉しく思います。

#HSP #HSP気質 #女性の自立 #女性の働き方 #女性の生き方

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