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わたし × 仕事 ~実践 編~

私の仕事のことについては、noteを始めた頃からいつか絶対に書こうと思っていた。でも、それがいつかは自分でも分からなくて、「気が向いた時」くらいに思っていた。

2023年9月1日
一枚のCDが一通のメールを運んで来たことが、
2023年9月11日
一枚のカードが一人のアイドルから手渡されたことが、

私にとってとてつもなく大きな転機となった。

この日のことを刻むには、"ここ"に触れずにはいられないと感じた。その「いつか」が「今」だと感じたので、今こうして少しずつ書いている。
どういう風にまとめるかも、幾つのnoteになるかも分からないけれど、自分の人生の記録だと思って書いてみる。

※本当に日々生きているそのままの私としてのnoteです。やっと「推し」について少し触れたところで終わります、ご了承ください🙇🏻‍♀️



20xx年 4月1日

晴れて、特別支援学校の先生としての一歩を踏み出した。
好奇心旺盛の小学生めみちゃんが夢にまで見た、憧れの「せんせい」。
大学生のめみがずっとなりたかった「本物の先生」。

自分の机が職員室にある。
自分の名前がプリントに刻まれる。
自分の名前が着任式で呼名される。

それだけで胸が高なった。

これからの人生全てをここに捧げる。
これから出会う全ての子どもたち、ご家族のために、生きる。
そう誓った。

「教員」という職業は、他から見るととても異色だそうだ(似通った職業は幾らかはあるが)。
1年目でも、20年目でも、
正採用でも、常勤講師でも、非常勤講師でも
4月8日辺りの「始業式」「着任式」「入学式」で児童生徒の前にたったその瞬間から全員同等に【○○先生】として、生きることとなる。

もちろん、校長・副校長・教頭等の名前が付く管理職は存在しているし、学年主任、学部主事など、ひとつのまとまりを統括する先生もいる。

しかし、相手(児童生徒、保護者)からするとその人自身の背景や採用形態等そんなものはどうでもよく、全員が等しく
「私の/私の子どもの 先生」となる。
新人も、ベテランも関係なく。
それは、時にひどく怖い。
明らかに経験値不足ゆえに至らないことがあっても、「1年目だから」が理由にならないことの方が多い。

目の前の愛しき存在、そして
大事に大切に同じ時を過ごしてこられた保護者さんの期待、希望に全て応えたい。
私の信じる道を示して、一緒に進んでいきたい。
身がギュッと引き締まると共に、血が滾った。


「よーい、ドン」

で、彼らとの日々は始まる。特別支援学校の教育課程はその地域や学校、それぞれで全く違う。教科書も無ければもちろん、指導書もない。
その集団に適した授業を、ゼロからつくる。
その子に合った支援を、ゼロから考えるのだ。
それが、この特別支援の授業づくりの面白さであり、難しさであり、真髄である。

ゼロから授業をつくるには何が必要か。
よく「知る」ことだ。

目の前の愛しい存在と、まずはこれでもかというくらいに関わる。私はそれを『LETS ウザ絡み★』と称している。(ごめんよ愛しき存在たち、常時暑苦しくて)

「あなたのこと知りたいよ」
「私はこんな人だよ」
「あなたはどんな人なの」
「仲良くなりたいよ」
「怖くないよ、悲しまないで」
「これからよろしくね」

そんな想いを持ちながら、また実際に伝えながら関わり続ける。
そうしていると、自然に見えてくる。
子ども達の「すき」「きらい」「得意」「苦手」、性格、こだわり、癖.....

自然に見えてくると同時に、また相手にも同様に見られている。
ちょっと牛乳こぼしてみるとか、
ちょっと意固地になって座り込んでみるとか、
ちょっと噛んでみるとか、
ちょっと泣いてみるとか、
ちょっとものを投げてみるとか…
こちらを気にしながら、所謂いらんことを立て続けにやってみる子どもたち。その時「この人はどうやって怒るかな」と明らかに様子を見ているのだ。

ちょっと反抗的な態度をとってみては、
「この先生はなんて言葉をかけてくれるかな」
「こうしたらどうしてくれるかな」と少し期待しながら待っているんじゃないかと感じることすらある。

私は子どもが「仕掛けてくる」瞬間、
私を「試している」瞬間を目の当たりにした時、とても嬉しく思う。ニヤニヤしてしまうほどに。
なぜなら、あなたの眼中に私が入っているという証拠だからだ。
だからその「仕掛け」を徹底的に受ける、時にオーバーに、一緒に駄々こねてみる。
時に冷静に、何のダメージも食らってないかのようにスッスーと事を運ぶ。

それは生身の人間同士の、言葉の無い駆け引きである時もある。ノンバーバルコミュニケーションと呼んだりもするが、それがまたとても良い。
そこに言葉はないけれど、言葉を介しないからこそこちらの力が試される。
そして言葉を介さないからこそ、より感情表現がリアルで個性的である。
目の前の子どもの今の様子と直前の言動を思い出して察知し、
外的要因とうちに秘めているであろう想いとを察し、
とにかく脳みその中にある少ない引き出しをたくさん開けて関わってみる。

言葉をかけてみる。一緒に寝転んでみる。
一緒に泣くふりをしてみる。一緒にお気に入りのフレーズを復唱してみる。
手を繋いでみる。背中をさすってみる。
変顔をしてみる。他の先生を呼んでみる。
然るべきタイミングでパズルのピースが合った時、その子の表情が変わる。
明らかな「快」を示してくれるのだ。

「これだ」と実感を伴って感じるその瞬間が本当に幸せで、本当に好きだ。多分私の表情筋が一番緩む瞬間であり、一番いい顔してると思う。

この瞬間は、他の何にも変え難い。
この瞬間は、当事者である私にしか分からない。
そして、残念ながら当事者であっても同職種の全員がその「快」を察知できているわけではない。(本当に本当に、残念な人が多すぎる)

私は
この瞬間があるから、辞められない。
この瞬間があるから、痛みも虚しさも悲しみも越えられる。
この瞬間を期待して、とにかく関わり続ける。
絶っっ対この瞬間は訪れると信じているからだ。

とにかく毎日が新鮮で濃密で毎日汗ビショになって、放課後には既に疲れ果てている。何をしている時よりも「生きている」と感じる。それはもう新人でも若手でも無くなった、アラサーの今でもそうだ。

私の姿を見て人は言う、「天職だ」と。
同じように私も思う、「多分天職だ」と。


疾走と理想

学生ボランティアをしている時に師匠と呼びたい方に出会い、師匠を追いかけて今の学校に着任した私。
1年目から師匠の後ろをついてまわり、偉い人がたくさんいらっしゃる学会に足を運び、ペコペコし、1年目の夏には半ば強制的に実践報告の場をいただき、震えながら実践報告をした。
「若いうちになんでも経験しとけ!」
「教えてもらえるうちに書いて発表し!」
が師匠の口癖だった。その言葉を信じて、とにかく実践を記録した。そしてまた実践を重ねて、それを論文(より少しライトなやつ)にまとめた。
「若いのに偉い!」
「フレッシュで素晴らしい!」
ご助言をいただきながらも、挑戦したことに対してダイレクトに称賛の言葉がついてきた。
人は褒められると嬉しい。
子どもだから、大人だから、そんなのは関係ない、ただ素直に頑張りを認めてもらえる場所があることに喜びを感じた。

私は文章の才がないと思っていた。なにより、活字を読むこと、小説ですら1冊読み切った記憶がここ数年ない。
「特別支援教育」に関する書籍なら読めるかと思ったがみんな書いてることが色々(そらそうでしょ)で、何を信じればいいか、何を自分の中に取り入れればいいか困惑する。
自分なりの仮説を立て、そこに向かって様々な先行文献を読み漁り、根気強く物事を分析してあることを紐解いていくような「研究職」は向いていないと思っていた。

しかし、私が日々の営みとしてワクワクしながら自然と行っていることは充分「研究」になり得るということ、
自分のやっていることを(ちょっと頑張って)言葉や文章にすることで「研究」となることを知った。
自分の名誉や名声、功績のために研究をするのではなく、子どもたちや保護者のためにと思って真っ直ぐ取り組んだ結果が、まずは目の前の子どもたちにとってとても効果的だったらそれ以上の事はない。そして自分はもちろん、その結果がある人にとっての学びになり得るし、次はその人の目の前の子どもたちに伝播していく可能性すらある……
研究、面白いじゃない!!
これは自論に過ぎないが、自分の中で「研究」がストンと落ちた、気がした。

私はほぼ「感性」だけで生きている。
もちろん師匠の教えや、尊敬する先生のやり方を受け継いだり真似をしたり、学習指導要領の内容を自分なりに読みとき落とし込んで文書の参考にしたりしていることもある。しかし、対子どもを前に実践する時にはそこにまた私色を肉付けしているので、もうそれは「私」なのだ。

自分の信じたやり方や自分がやってみて上手くいったことをまた次、その子に合わせてカスタムしてやってみる、ダメだったらその子と頭を付き合わせて、そのまわりの先生と一緒に考える……
そうやって新人時代を終えてしまったもんだから、私のスタイルは私の身体の中に染み付いているだけで、特に誰のスタイルを参考にした訳でもない。目の前の子どもと私の中で作られ、積み上げられていったものなのである。それが特別支援の面白さだと実感している。

自分の論文よりライトな実践報告を書き上げたあと、師匠に添削を頼んだ。
師「お前…ちなみに参考文献は…?」
私「あー……いやほんとそこが私のダメなところというか……この実践するに当たって特に何も参考にしてないし、自分の感性でやったので参考文献は無いです」
師「ひーー🤣参考文献なんかなくても自分の中にありますってか。ええやん、それ。」
と、言いながら師匠は2つほど書籍の名前を貸してくださった。
もともと師匠からの教えを丸呑みして実践を重ねている私、師匠自身の学びを辿るとその書籍にたどり着くらしい。

多分こんな主観的な、感性しかないものは「研究」としては認められない。しかしそんな堅苦しいことはいいのだ。
私なりの「記録」をその時その時に積み上げていく感覚だった。その営みや過程は大変な時もあったが、楽しいものだった。

時に厳しい状況に陥っても、私じゃなかったら確実に心身が壊れてしまうようなことが起きても、助けてくれる人がいた。
「大丈夫」と言ってくれる人がいた。
「いいね」と言ってくれる人がいた。


失速と現実

しかし、想像していたことが起きる。
覚悟はしていた。というか、もちろん歳を重ねるとそうなることは当たり前のことなのである。
私はまだ「若手」と言えるだろう時期に、思っていたより早く、ロールモデルとなる人が近くからいなくなるという現実に直面した。しかも、2人いっぺんに。

最初は良かった。

そんな時こそ、これまでに沢山貰った「大丈夫」や「いいね」を信じて、自分の残してきた実践記録やアドバイスをもとに、自分を信じてやればいいと自分を奮い立たせた。
そして、また
「この人となら」
という人を自分で見つけて、おしり叩いてもらって一緒に頑張ればいいと思っていた。

しかし、現実は厳しかった。

小学生のめみちゃんが憧れた
大学生のめみが切望した「本物の先生」は、そう簡単には見つからなかった。し、今も見つかっていない。
師匠も極端な人なので正直万人受けは良くないし、よく人と揉めてたし、人から反感を買うこともよくあった。
「また!あんなあからさまな反応して!!もう!!」と、私が言うこともあるほど。

でも、師匠はいつも目の前の愛しい子どもたちのことを考えていた。子どもたちのために行動していた。
嫌がられても、ゲンコツくらっても、
噛まれても、そっぽ向かれても、
諦めるどころかもっと仲良くなるぞー!という意気込みでこれでもかと関わって、
面白いことがあったら一緒にその時を楽しんではしゃいで、一緒に大笑いして、嘘泣きして、
それを写真や動画をおさめて、勝ち誇った顔で私に共有してくる。
そして「あ~~~今日もおもろかった、最高や、帰ろ」と言って帰っていく。

私の理想の「かかわりあい」が、
「働き方」が、そこにはあった。

私にとってロールモデルが傍にいないことが、こんなに苦しく、悲しく、虚しいなんて思っていなかった。
もういい歳なんだし、自分が誰かにとってのロールモデルになるべきなのかもしれない。
そう思って、毎年やってくる実習生指導も私なりにできることはやっている。
相性はあるし元々の想いがかけ離れていると難しいが、未来の先生となる学生にとってのロールモデルになること、それが今は目下の目標でもある。


出逢い

自分のロールモデルは、そう簡単には見つからない。
人生の中で1人見つかればいい方なのかもしれない。
しかし、そんな現実を受けてもなお、仕事はずっと私にとって必要不可欠なものだった。というか、子どもたちの存在が私をそうさせてくれた。しかし埋まらない何かがずっとあった。

ある時、突然これまで全く知らなかった界隈に足を突っ込んだ。
「KーPOP」だ。
その衝撃的な出逢いについては過去のnoteにまとめてある↓

とにかく、とにかく眩しかった。
カッコイイとか、顔がいいとか、歌が上手いとか、ダンスがすごいとか、愛嬌が可愛いとか、それだけではない何かを彼らに感じた。
時に明るいだけでは無い、その奥にあるリアルな感情まで垣間見える。
そしてまた同年代だと知り、「彼らと私は同じ時を生きているんだ」と、さらに心が動かされた。

職業「アイドル」の彼らに、私は心底惚れ込んだ。

過酷な過去を生きて今を生きている彼ら。ステージやコンテンツで見せるその笑顔やパフォーマンス、歌声は本当に輝いていて、基盤がものすごくて、どこまでも自由で。
そこに至るまでには想像できない程の壮絶な日々があっただろう。実際に彼らは言葉を選びに選んで伝えてくれる時がある。しかしその日々や彼らの思いはその言葉や姿から想像するしかできない。

彼らを知れば知るほど、リスペクトの気持ちが大きくなっていく。
私にも「推し」と呼ぶ人はいる。しかし1人には到底絞れない。全員が今を全力で生きている事がありありと伝わってくる限り、私は全員のことを尊敬して全員を心から応援しているからだ。

しかし私は変わっているから
職業「アイドル」の彼らを心から好きになった
と同時に、
職業「特別支援学校の先生」の私のことも、
心から肯定できるような気がしたのだ。

時に私の仕事は想像を絶する。
毎日大切な命を預かり、安心と安全を保障しながらこれからの未来に希望をもてるように、肯定し、共感しながら濃く深くかかわりつづける。そして個へのアプローチだけではなく集団を動かしながら、かかわりあいが生まれるように、試行錯誤を続ける。
その関わりの中で、痛みを伴うこともある。悲しみに溺れそうになる。鋭い言葉を浴び続けることだってある。
この重圧、重責は当事者にしか、私にしか分からないのだ。

私は「彼ら」にはなれない。
しかし、
彼らもまた、「私」にはなれないのだ。

ここまで思考を巡らせ、落とし込み、整理しないと自分を肯定できないのかと面倒くささすら感じる。しかし、私にとってこの言葉が自分自身を救う言葉となっているのもまた確かである。

私は彼らから目が離せなくなった。
その中でも一際、静かなる闘志を燃やして今という時間を余すことなく使い、自分の持てる力を全て使い、全力で生きる人と出会った。
そこからまた私の人生が大きく動くことになる。

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