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エレベーターの文字盤を、私が操作しなくてもいい


最近自分の許容限界値が低いのか、はたまた限界値が近いのか
他人の「○○したい」という要望と、
他人の「○○してくれ」という雰囲気・空気が
自分を蝕んでいく気がしてなりません


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毎朝、毎晩、勤務先付近のエレベーターの文字盤を必ず操作してしまう。
気づけばいつも前に立ち、やりたくもないのに操作権を持ち、人の様子を見て開け閉めをする。

「あなたと○○したい」「もっと一緒にいたい」が、怖い。
「そうしなければいけない」「そうしなければ許されない」ように思えてしまう。

自分の要望は、たぶん、
いまは、疲れ果てていて、なにもしたくない。
人の要望が、自分を飲み込むように思えている時点で、
人の要望に応えられるほど、
また、空気を読むほどには、まったく元気がないんだと思います。


それなのに勝手にやりそうになったり、もしくは硬直(無言の肯定)となったり、
自分の意志がまるでないような、恐ろしく限界値付近であることを感じています。


ただ、これはあくまで自分の中の問題だよなぁ~と理解しています。

「自分にできること」をちゃんと発信して、擦り合わせなきゃ。
もしくは、「飲み込まれる気がする」妄想から抜け出して現実を見なきゃ。
いや、ただ休め

人が私に言う要望は、ただ願望なだけで、
私を蝕む為のものではないはずなので。

疲れてるだけだよ!

エレベーターの文字盤から一度離れてみよう、今日の帰りは。

自愛だ!自愛!

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