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アロマンティックである自分を、いつの間にか受容していた
「あの頃よりも」受容していたなあと昨日認識できたので、記録。
2022年12月の私は、すごく悩んでいた。
「いい感じの人いたらしいじゃん!どうなった?」「どんなタイプが好き?」「顔?性格?どっち?」
…みたいな話は、人が仲良くなるための常套手段なのだろうか?
みんなの共通言語として、恋愛がある。
私は人のそういった面を知ると、疎外感をおぼえて勝手に人に幻滅する。苦しい!私だけ違う気がする。
ここ数年の悩みだ。
私に好きなタイプはない。そもそも、自発的に恋をできない気がしている。
ないと答えるのもおっくうだから、普段言語化を大事にし、物事を言語に率先して変換する私は、あえて「優しい人」みたいな適当なことを言う。普段より適当なことを言っている時点でもう、察して私の話を聞かないで欲しい。
1年前のみなかみ!すごい悩んでるじゃん、どうした!?
最近はなぜか友人たちと夜な夜なオンライン通話を行っています。
その中で(なぜか?)そういう話になり、スルッと自己の特性の話をしていた自分に驚きました。
私には「ない」心の機能、「恋」について。
また、それが「ある」人に嫉妬することもなく、かなり自然だった。
「私にはそれ、ないんだよねえ!」と
友達だろうが、家族だろうが、誰に対しても言えることなど、
28歳までは ありえなかった。
25歳を過ぎた頃から、ずっと嫌だった。
自分が終わるカウントダウンのように、
自分の中だけで渦巻く疑念と、受け入れたくない「ない」という事実だけがあった。
それを私は、この1年以上
自己をnoteで振り返る中で、いつのまに受容しているようだった。
自分の特性に悩み考え続けてきた20代後半はもうすぐ終わりを迎えます。
私は2月末日生まれの人間ですので、あとちょっと。
悩みぬいたからこそ、いまこんなに、基本的には穏やかに日常を送れているのかと思えば、
人が努力をして「自己を知る」ことの重要性を、身に染みてわかる気がします。
どうか自分と他人を知ることを、あきらめるなよ。未来の私!
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