INFJは考えすぎる|思考のままに記録
INFJなら皆そうなのでは?
(クソデカ主語)と思いますが、
私は客観的に見て考えすぎるところがあります。
いつも頭には思考が流れる。
自己に対する未来予測をする。
ありとあらゆるリスクを想定する。
現在の他人の感情を察知する。
聴覚刺激を過度にとらえる。
過度な刺激はすべて私を疲れさせる。
最初に来る未来予測(Ni 内向的直観)は私を未来に連れてゆく。
より良い未来にするために、真実を知りたい私は思考(Ti 内向的思考)する。
その過程で、勝手に人の感情を読んで(Fe 外向的感情)、すべてを取り入れようとする。
全体が見えるから、なるべく取りこぼしたくない(完璧主義というもの)。
見えてしまうものの責任だとすら思う。
しかし、取りこぼしたくない気持ちなのだけれど、見えているのにやらない。
いや、やらないというより、
見えているすべてに反応すれば自分のキャパシティーを超える。
見えているのにやれない自分に少し罪悪感をおぼえる。
私は思っているより考えすぎなのだと自分に言い聞かせたい。
そんなに考えなくていいんだよ。たまにはぼーっと過ごしても。
時折、とめどない思考に疲れてしまうからです。
本末転倒だよなあ~。
私信。
あと10日で引っ越しです。健康な大人の10日間は存外速く経過するでしょう。
あんなに決意して、あんなに出たいと思っていたのに、年末年始を超え穏やかな日常を過ごせば、安寧にいられるのもあと10日か…と不安になりますね。
私はできるはずだ、でもできるんだろうか?
勿論一人で暮らすとて、完全に一人で生きるわけではない。
あんなに鬱陶しいと感じていた家族の生活音は、やっぱり鬱陶しいけどなくなるのが不安だ。
最近気づいたことですが、私は結構寂しがり屋みたいです。
私はやりたいはずだ、でもできるんだろうか?
やっぱり白黒では人の感情や気持ちは決められないものなんだなと思いました。
不安であり、でも楽しみである。
夢うつつではなく、地に足をつけた人生を送りたい。
それは、私がこれから先の何十年を自分の力で生きるために。
夢うつつの状態で生かしてくれた家族に感謝しています。
28年間ずっと雲の上で生きていたので…。
私は空想が好きなんでしょう。
わくわくするのは、創作しているときや、創作を見る時。
それは今も変わらないけど、今度は自分の足で、夢と現実を行き来できたらいいなあ。
そう言えば、自分がINFJだと認識していない頃に
ネタ帳に残していた、あるキャラクター(多分INFPっぽいかなぁ)の思考回路がもろINFJでした。私が生んだからだろそれ!!
誰でも彼でもINFJにすな。可哀想だろうが。
そうだ!創作しよう。
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