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夢見がちに生きていたINFJの私

中学生の時かな?ツイッターまだなくて、毎日少なくとも1回更新するブログやってて。昔から文章優位だったから、皆がブログを毎日更新できないことがほんとうに不思議で。

長文で書けるFC2ブログに合わせて、
四角い枠の中で、ポンポンと短文でしゃべれる「リアルタイム」「リアルタイムブログ?」のサイトをリンクでくっつけてたなあ。

リアルタイムって死語でしょ?
あのサイト、なんて名前だっけ?

あーDecooリアルだ!なつかしい。
って、さっき1人でなってました,。


現実感がなく夢見がちなまま、
10代前半を過ごしてた。

Ni(ひらめき!ビジョン!抽象的情報から、直感的に全体を読む力💪)と
Fe(他人の気持ちを読む!つよい感情移入、他人へ向かう愛情)を
使うだけでただ幸せだったあのころ。

私はかなり夢見がちな子どもでした。

発言に現実感が無くても幸せだったのは、多感な10代のとき、だれもが肯定されるようなとてもやわらかな環境にいたからです。
あの環境に行かせてくれた家族には感謝しています。
あの場所は確実に、私の人格形成の原点となっています。

変な思考回路が表に出始めたのは、社会から初めて排斥されたからだったな。

NiとFeで、「だいすきなキャラやだいすきな人間」の「理想的なやわらかな人格」でできた「人間の相互関係」に関するかわいらしい妄想や創作をしては、
その妄想をもって人と交流をして楽しんでいました。※今もやってるけど

昔の私が描いていた創作は、これまた論理的な構成が一切入らない、感情的で抽象的なかわいいものだったなあ。じゃあ私、絶対INFJじゃん。
ふわふわ創作で、スゴイヤバイ読みづらいやつです。消す方法がうしなわれて黒歴史としてネット上にあります。

それは置いといて!

リアルタイムブログを使っていた頃から、数年前くらいまで「私は感情が平坦だから30%くらいの出力で生きていたい」みたいな(ほんとに中二病やめて)ことを言っていたなって思い出しました。

生まれてからほとんど使わずにいた
Ti(仮説!分析!問題発見!論理で合理的な意思決定をする力💪)は
当時を思い返せば明らかに未発達。

現実よりも、優しい世界の中にいたし、肯定されていたし、Tiで考えないからあんまり悩まなかったかも。悩みなさそうだね〜!って聞かれたら、うん、無いね。ってかんじ。

Se(五感!高い身体能力、本能、今このときを見つめる現実的な力💪)は
いまと同じく劣等だった。

「なにかあっても表情にはでない子」「堂々としてる」とよく言われました。
そう見えるだけ、表情動かす能力が低いだけ!心は激しく動揺しているのにです。

だから自分は平坦な人だと思っていたのかな?

しかし今思えば、感動ポルノは苦手で、見ていられない。〇時間テレビとかは避けていたなあ

戦いや血の流れるような話も好きではない。現実でも物語でも。大震災もいやだった。人の強い喜怒哀楽は苦手でした。
だれかの不自由や葛藤や苦しみの欠片を、涙を誘うための感動物語にされることが嫌いだった。

そして今の私も、自己認識より大きく情動に流されるタイプだ。

昔の私もおそらく、「30%の出力」でなければ「なんか大変」だったから、「私は平坦な人間」って思い込んでいた可能性も、ありそうだなあ。


齢7年のTi(内向的思考)

っていうかさ、
Tiを使い始めたのは社会に出てからなんだよね。

だから、使いこなせなくって暴走しまくるのも当然なんだよな。

私の強い劣等感は20代になって生まれたもの。
でもさ、原点にもどろうよ。
私は昔、色々あったけど、でもすごく幸せな子どもだったんだ。

まだ7歳のTi、ごめんね。
いっつも文句ばっかり。おまえを悪者にしたいんじゃないよ!論理がなければいま、私は職場にいれていないからさ。評価されているのはTiを伸ばしたからこそなんだ。

だから、Ti、いつもありがとう。

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