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内から出てくる直感は、誰が指示してるんだろう

直感、勘、一目惚れ、違和感など、たまーに内側から"誰か"が主張してくる。

高校生の頃、あれは自分でない何かで、一体誰の仕業なんだろうと不思議だった。ピンとくる時の「ピン」って誰が察しているんだろう。美味しそうなハンバーグの広告を見た訳でもないのに「今日はお肉な気分」と思うのはなんでなんだろう。誰から伝えられて来た情報なんだろう。別に自分はお魚も好きなのに。

志望校を決める時は"自分"が考えて決めた。これが好きだから、こんなことに興味があるから、この大学に入りたい、といった具合で。人によっては誰かが出てくるかもしれない。(こっちの方がいい気がするぞ)って。

今日も少し"誰か"が出てきた。お気に入りのチャリでサイクリングロードを走っている最中、「疲れるし、もうちょっと走ったら引き返そう」と思っていた。そしたら(まだ走れる、疲れてもいい)という"誰か"の気持ちが出てきた。結局、"誰か"に従った。おかげで気持ちいい汗と程よい疲労感が獲得できた。

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(折り返し地点でしろくまのいちごを食べた)

大学生の頃はよく"誰か"が来ていたなあ。あなたの直感に従えば、夢中になれるから、考えなくていいから、とっても楽で気分もよかった。でも就活の時は全然来てくれなくて、あー、"誰か"。ビビッとくるもの、ピンとくるもの、連れてきておくれ〜なんて思う、怠け者な自分もいたなあ。

でも最近は主張が弱い。まあでも、これも程よい距離感を保っている気がする。自分で考えろということですかね。

ちなみに、無意識は直感などとは違う気がする。これまでの自分が積み重ねてきた結果、意識しなくても自然と動くようになったものだから"自分"のもの。

とりとり

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