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大丈夫、今度はぼくが窓口ですから!

MNHの小澤です。

ぼくは不安を抱えつつも、夜行バスでえっちらおっちらと、山形へ向かった。
庄内町では副町長と観光課長が出迎えてくれた。そして、出羽三山をはじめとした観光スポットを一日かけて案内してくれたのだ。

夜は夜で、飲み会がセッティングされていた。
そこで、副町長らと一緒に、町おこしを担っている「イグゼあまるめ」のキーパーソンも含めて、今後の話をした。

イグゼあまるめとは、そう、過去に会長がドンパチやっていた先(会社)だ。

予想はしていたが、「あのときは本当に大変だった」と先方の不満をたっぷりと聞いた。しかし、こちらはもう法人をつくることも決めている。彼らとの関係性をよくしないと先に進めないのは分かっていた(*1)。

「大丈夫です。今度はぼくが窓口になるので、ひとつよろしくお願いしますよ」

要はそんな論調で、彼らをなんとかなだめていった。

会長と先方との間にハレーションが起きていた原因は、ただひとつ。「言語の違い」だとぼくは思っていた。

会長はなにも、変な要求をしていたわけではない。ビジネスでは当たり前のことだった。
当時、MNHのノウハウを使ってすすめた商品開発では、MNHが売上の一部をロイヤリティとして得る契約を結んでいた。その分こちらも汗をかくので、皆さんも汗かいてくださいと。そういうビジネスモデルだった。


しかし先方は補助金ベースだ。補助金を使うと、現場は商品化をしても「できた、できた。はいおしまい!」というように、1回ぽっきりになってしまうことが多い。会長とやった時も、残念ながらこれに近かった。しかし売れ続けなければ、MNHも立ち行かないのだ。

一方で、イグゼあまるめが“第三セクター”(*2)というのも、このあつれきに拍車をかけた。

第三セクターの役員は、たいがいが町のお偉いさんたちで、本業が別にある。現場で実際に対応できる人はわずかだった。しかも組織の成り立ち上、公共の雑事も一手に請け負っている。

そんななかでの商品開発は、“片手間”にならざるを得なかったのだろう。事実、レスポンスひとつとっても、ビジネスとして本気で取り組んでいるMNHのスピード感とはまったく違っていた。

このように、売って満足の先方と、売り続けたいMNHでは、前提がまったく違う。言語も違う。よって話がかみ合うはずがなかった。どちらかが歩みよればよかったのかもしれないが、それもできなかったようだ。

しかし、ぼくはへんな話、双方を取り持つ自信があった。NPO時代に、多様な人のなかで仕事をしてきた経験から、前提が違う人たちが協業するときのすれ違いを、よく見ていたからだ。また、補助金で回す先方の気持ちも、手に取るように理解ができていた。

そんな想いからも、この場ではとにかく相手の立場を尊重し、話を受けとめるよう努めた。それが奏功したのか、この場をきっかけに、先方も随分変わってくれた気がする。

余談だが、山形の人には驚いた。
一晩でまぁ飲むわ、飲むわ…。東北の人は酒が強いとはいうが、ビールをチェイサーに、ノンストップでがんがん日本酒を空けていた。

翌朝に法人登記に遠出するのが頭にちらつきながらも、今までのことを水に流してもらうために、その晩は、ぼくもがんばって杯を交わしたのだった。

(*1)MNHが庄内町につくろうとしていた法人の登記にあたっては、イグゼあまるめの住所を借りる予定だった。
(*2)政府または地方公共団体(第一セクター)と、民間企業(第二セクター)との共同出資により設立された法人。独立した事業主体として公共性・公益性が高い事業を行うことが多く、「半官半民」の中間的な形態である。


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