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関係の修復から始まった。

MNHの小澤です。

「この町の人と、どう関係を修復していこうか」。

この事業をはじめるにあたって、ぼくは相当頭を悩ませていた。


……と、いきなり不穏な伏線をはってみたが、その舞台は山形県庄内町の、とある大きな米倉庫。80年もの歴史のある建物を改装して「6次産業の観光施設(*)」にしようという事業の話があった。

6次産業とは、分かりづらい。

道の駅などで、農家の人たちの手作りジャムやお菓子が売られているのを、見たことはあるだろうか? 農家レストランもいい例だ。簡単にいうと、そんなふうに農業をベースに、加工・販売・観光をつなぎあわせた、新しい産業というイメージだ。

庄内町の副町長は、2012年の年はじめに、わざわざ山形から東京のMNH社にやってきた。
そしてその「6次産業の新施設のコンテンツづくりを手伝ってほしい」とぼくらに懇願してきたのだ。

その施設では、農産物や加工品を売る他に、食品工房(加工所)もつくろうとしていた。町の人がそこで手を動かし、6次化商品を実際に作り出す仕組みづくりだ。要はそこの仕組み作りを手伝ってほしい、ということだった。

ぼくらはすこし躊躇したが、副町長もはるばる山形から来てくれたことだし、ここは一肌脱ぐことにした。そして事業を本腰でやるために、現地の庄内町に「法人」をつくろう、ということになった。

そして、動きはじめようとしたのだが…


その時点での庄内町の担当者たちとの関係性は、ひとことでいえば、最悪だった。



そこの付き合いは、実はぼくが入社する前に1回あった。会長と庄内町の担当者とで、「補助金」をもとに6次化商品の開発を行ったのだ。

しかし、1回ぽっきりでその企画は終わっていた。

なぜか。
本来、売れ続ける商品を企画するのがビジネスなのだが、補助金があると、現場は「売れても売れなくてもいい」となってしまいがちだ。売れる努力がなされないと、取り組みはそこで終わってしまう。

そんな庄内町の担当者らの(こちらからみれば)生ぬるい商品開発の姿勢に、会長が真っ向からたてついていたのだ。

間接的にそう聞いてはいたが、詳しく知るべく、ぼくはまず会長と先方の過去のメールのやり取りを、解読しにかかった。

そして改めてがく然とした。

会長が先方に送った、長い長い文章。ものづくりの何たるかを強い論調でつづったその内容は、ぼくが今読んでも、うんざりするほどキツイものだった。これでは、先方も相当なダメージを受けているに違いない。

会長や、当時同行していた社員にも、そのドンパチやっていたいきさつを細かくヒアリングしたうえで、ぼくは重い気持ちのまま、現地へ出向いたのだった。

(*)後の、庄内町新産業創造館「クラッセ」のと。「農・商・工・観」連携の6次産業化を促す拠点として、2014年に開設される。町の人が新商品の開発や製造に取り組む拠点になる。


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