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逆や裏は必ずしも真ならず。

「論理トレーニング101題」という本を読み始めて1ヶ月になる。

実は、一応、そこそこの文系大学院卒なのであるが、ここ数年、陰謀論系・スピリチュアル系の文章に多く触れすぎたためか、元々大した論理力がなかったのか、ロジカル面の衰えを感じるようになった。

また、難しい話題を取り扱うときに、難しくダラダラ書くのではなく、やわらかく、かつ、わかりやすく、書けるようになりたいなと常々思っていた。

そこで、表現された思考を読み取る力、思考を表現する力を、鍛え直したいと思って、この本でトレーニングをしている。

今日は、学びのメモとして、「逆や裏は必ずしも真ならず。」ということについて、書き残す。

因果関係と相関関係の違いと同様に、逆や裏は真ではないということがわかっていれば、曲解を避けることができ、間違った妄想で怒りや悲しみを感じたり、それを他人にぶつけることが減り、精神の安定にも資するのではないかと考えている。

逆は真ではない、とはどういうことか。

真とは、正しいと客観的に判断できること。

AならばB。
対してBならばA。というのが逆。

逆は、真ではない。

例えば。

4ならば偶数である。これは真。
これを逆にすると、偶数ならば4である。
偶数ならば、2も6もあるので逆は真ではない。

逆は必ずしも真ならず、とはこういうこと。

裏は真ではない、とはどういうことか。

AならばB。
対して、AでないならばBではない。というのが裏。

裏は、真ではない。

例えば。
4ならば偶数である。これは真。
これを裏にすると、4でないならば偶数ではない。
4ではない6は偶数なので、裏は真ではない。

裏は真ではない、とはこういうこと。

言い換えて真になるのは対偶。

逆も裏も、真ではない言い換え、と言える。
実は、真になる言い換えが存在し、それを対偶という。

AならばB。
対して、Bでないならば、Aではない。というのが対偶。

例えば。

4ならば偶数である。これは真。
これを対偶にすると、偶数でないならば、4ではない。
偶数でないならば奇数となり、4は奇数ではないので、対偶は真。

対偶は真になる、とはこういうこと。

例題

以上の例は、数学っぽいので、先の本にある例題から一つ転載する。
ある仮定のもとで、何か帰結を導くような文であれば、同じように当てはめることができる。

「クリストファー・ロビンの親友は、森に住んでいる。」

逆は、
森に住んでいるのは、クリストファー・ロビンの親友である。
森に住んでいるものの中には、クリストファー・ロビンの親友でない生き物もいるので真ではない。

裏は、
クリストファー・ロビンの親友でないものは、森に住んでいない。
クリストファー・ロビンの親友ではないものも、森に住んでいるので、真ではない。

対偶は、
森に住んでいないものは、クリストファー・ロビンの親友ではない。
親友は森に住んでいるというのだから、森に住んでいないものは親友ではない、同じことを言っているので真である。

言い換えたいのなら対偶を意識。

ときに人は、理解の解像度を高めるために、説明を通りやすくするために、言い換えをするわけだが、逆や裏ではなく、真となる対偶を意識すべしということになろう。

「クリストファー・ロビンの親友は、森に住んでいる。」を正しく言い換えたいのなら、「森に住んでいないものは、クリストファー・ロビンの親友ではない。」だ。

「森に住んでいないものは、クリストファー・ロビンの親友ではない。」を正しく言い換えたいのなら、「クリストファー・ロビンの親友は、森に住んでいる。」だ。

裏読みはやめた方が良さそう。

世の中には、裏読みという言葉がある。
表面には表されていない意味を読み取ること、陰にある真意を読みとることなどとされている。

一歩間違うと、CならばDと言っているだけの文章を、CでないならばDではないと解釈し、勝手に傷ついたり怒ったりすることがあるように思う。

何かを読んでいるとき、話を聞いているとき、怒りや悲しみを感じたのなら、無意識に裏をとっているのかもしれない。自戒をこめて、ここに書きおく。

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