夜空の飛行機とサピックス
ひどい話だ。
10年ほど前、沖縄のリゾートホテルに宿泊したことがある。
学生時代の寮の後輩の結婚式があるので、出席する仲間と前乗りした。
夜、他の仲間はのんびり沖縄の夜を楽しんでいたのに、僕だけが薄暗いホテルのラウンジで頭を抱えていた。
結婚式前日になってスピーチを急遽お願いされて、あれでもないこれでもないと文章を考えていた。
いや、記憶があいまいだ。
事前にお願いされていたのにもかかわらず、前日まで何も考えていなかっただけかもしれない。
とにかく、何時間もかけて、拙い文章を用意した。
ようやく書き終わったのは深夜の3時くらい。部屋に戻るとすでにみんな寝てしまっていた。
さて、次の日の披露宴。
きたきた。出番だ。
イスの背もたれに手をかけて、立ち上がろうとした。
ところが。
あれれ?
僕は二人目にでも呼ばれるのか。
上司のスピーチが終わって、司会者の声に耳をすませていると、予想外の言葉がとびこんできた。
なんと。
僕はスピーチではなく乾杯の音頭を頼まれていたのだ。
僕が聞き間違えたのか、新郎の言い間違えたのか、どっちなのかわからない。
乾杯する前に多少のお祝いの言葉は話させてもらえるだろう。しかし、10分くらいを想定していたスピーチは長すぎる。
1分くらいにまとめなきゃいけない。その1分で、新郎という人間をみんなに知ってもらいたい。
僕はこんな話をした。
あれから10年以上経つが、彼は地方自治の現場で活躍しているだろうか。
さて、彼の指摘するようにパイロットになるまでの距離が違ってはいけない。
しかし、現実には、地方と都会では教育の格差がある。
その格差とは、地方の人が考える“ふつうの教育”と都会の人が考える“ふつうの教育”の隔たりだと思う。
先日、子育てしやすくなるには何が必要かという意見を、インスタグラムを通じて聞いてみたところ、教育の問題を口にする人が多かった。
公教育に頼れないから、子どもの教育にお金がかかってしょうがないという。
地方の人たちにとっては、高等教育を受けるには都会に行かないといけないからお金がかかると感じている。
都会に住む人たちは、私立中学に進むことが当たり前になっていて、サピックスなどの塾にかかる費用、私立校の学費がかかってしょうがないと嘆く。さらに高度な教育を受けるには高額なインターナショナルスクールに通う必要があり、インターナショナルスクールに通うための助成金が欲しいという人もいた。
都会に住む人たちの話を聞いて贅沢だと批判する人もいる。
根本的な問題は、住んでいる場所によって“ふつうの教育”が違うことだと思っている。
必要なのは公教育の底上げを考えることなのではないだろうか。
そうすれば、教育への不安も減り、金銭的な負担も減る。
さらに地方と都会での教育格差も減る。パイロットになるまでの距離も等しくなるのではないだろうか。
とある討論番組で佐渡島さんがこんな話をしていた。
お金だけの問題では無い。子どもの習いごとの送り迎えなどがあるせいで、フルタイムで働けず、キャリアをあきらめる人たちもいる。
AIなどの発達によって勉強が効率化できて、子どもたちに空いた時間ができても、中学受験に勝つためにはその時間をさらに勉強にまわさないといけなくなり、無駄に受験が加熱している。
教育にお金をかけてもらえているとしても、都会の子どもたちがかわいそうに思えてくる。
職業ごとの平均年収を比べると、一番高いのは医者ではなくパイロットだそうだ。サッピクスに通う子どもたちの中には、パイロットを目指す子どももいるだろう。
都会の子どもたちの方が、パイロットになるまでの距離は近い。
しかし、彼らには、夜空を見上げて飛行機をさがす余裕なんて無い。
ひどい話だ。
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