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回想列車

この前久しぶりに電車に乗って移動した。
その日はよく晴れていて、夕方近くになってもまだ空は明るかった。
浜松から豊橋までの各駅停車の間にいつものように学生が何人も乗り降りしていく。
ただいつもと違うのは学生たちがいつもの大きな重たそうな荷物を持っていないこと。
代わりに綺麗な花束を抱えている学生をちらほら見かけた。
「なぜ学生が花束を?」
その日の日付を思い出し納得した。
「2月28日。ああ、そうか卒業式か」

この時期に行うということは高校の卒業式だろうか。
私も2年前の3月1日、同じように花束や色紙をもらった。
ついこの間という気もするし、ずいぶん前のことのようにも感じる。
ついこの間だと感じるのは未だに鮮明に卒業式の日、高校生活の隅々まで覚えているから。
ずいぶん前のことだと思うのは卒業してからのこの2年間がとても密度の濃いものだから。
年齢だけで見ると目の前で花束を抱えている子たちと私はさほど大差はないが、絶対に私たちの間には説明しきれない大きな溝や壁があって、
「いつのまに私は"こちら側"に来たんだな」と喜怒哀楽どの感情なのかわからない気持ちで、窓の外を眺めながら静かにそのことを実感していた。

浜名湖。行ったり来たりする新幹線。その窓に小さくポツポツと見える乗客たち。
帰宅ラッシュの車のテールランプ。畑。冬の色をした山の木々。青色を失っていく夕暮れの空。
目的地の名古屋まで、そんないつもの景色を眺めながら私は高校生の時の自分をぼんやりと思い出していた。

私の通う高校は家のほど近くにあり、家の玄関から学校の下駄箱までたったの5分ほど。
通っている高校名を聞かれその名を答えれば「まあ、じゃあ賢いのね」と言われる程度の進学校として地域の人間には知られていた。
まあこの映画館もないような田舎には高校など両手で数えられるほどしかないのだが。

オレンジ色の校舎
晴れた暖かい日に渡り廊下で食べるお弁当
ガタガタして使いにくい机
保健室のボロボロの扉
カーブした黒板
ダサいスリッパ
埃臭い体育館
狭くて物の多い部室
階段の踊り場の汚い窓
美術室の古いテレビ
隠れてタバコを吸う友達

あの時の私が見た景色は思い出せても、その時何を思っていたかまでは思い出せない。
今の私はその延長線上に立っているにしてもあの頃の私とは全く違っていて、既に完璧な第三者となっていることに気がついた。
そう私はもう”こちら側の私”なのだ。

美術室で受験勉強のデッサンをしていたこと
バスケ部のみんなで部室で仮眠をとったこと
部活が休みの日は軽音部に行ってギターを弾かせてもらったこと
腰を痛めて一年生の時しかマラソン大会に出れなかったこと
体育祭の幹部になって熱くなりすぎたこと
3年間同じクラスだった友達のこと
あまり思い出したくない当時付き合っていた人のこと
別校舎の人気のない階段が好きだったこと

意味もなく教室で友達と延々と続けたおしゃべり
大事なことは明日の英語の小テスト、板書が当てられている数学の問題、インスタの投稿についたいいねの数。

どこの街にも同じようにある空間と時間。
人だけが変わり、私たちの日常は繰り返される。
私たちが知った気になっている事実なんてそんな狭い世界でだけの常識だとそこを出て初めて気づく。
そしてその狭い世界は似たような形をして何処にでもある。
そんな事実にまるで興味はないけれど。
適度な退屈が自分がいる世界の狭さを感じさせ、それが私を安心させた。
「ここから出ていかなければ傷つくこともない」

昔のことばかり思い出していたら今の自分の輪郭が不明瞭になった気がした。
窓の外はすっかり日が暮れてもう真っ暗だった。
心が体にうまく同期してくれない。
歩き慣れてるはずの名古屋駅なのにうまく歩けない。
ようやく今の自分を取り戻したのは、名古屋駅から乗った高速バスに揺られて一時間ほど経ってからだった。

「昔に戻りたいと思うことはありますか?」

人はよくこんな質問をするし、戻りたいと答える人も多くいる。
私はその感覚がよくわからないままでいる。
楽しいことがあったことも事実だが、その時にいた絶望や孤独もまたやってくるのに。
時が連れ去ってくれたものたちだってたくさんある。

過去に戻ることができなくてよかった。
だからこそ私の思い出は尊く、美しいままでいられる。

昔に戻りたいとは思わないが、高校生の自分にはもう一度会ってみたい。
私のことを一番分かってあげられるのは私だから。
誰にも話せなかった孤独や絶望の話を今の私が聞いてあげよう。
そして言ってやるのだ。
「お前の考えていることなどほとんど意味を成さない。でもそうやって考え込まないと納得できないことも私は一番分かっている。
損な性格だな。可哀想だ。ならそれを強みに変える生き方を見つけよう。」と。

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