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思い出に浸かること、ここにある温泉を愛すること


温泉には「お風呂に入る」ということ以上の価値がある、と思う。

仕事をがんばって奮発した温泉旅館、道中の景色をたのしみながら遠出して向かった温泉。近所のスーパー銭湯。きっとそれぞれの思い出がある、と思う。


幼い頃に祖母とよく行ったのは、すこし山を登ったところにある、古びた温泉だった。

浴室内には川に面した大きなガラス窓があった。大きな浴槽に浸かりながら、温泉の側を流れる川を眺めていた。

祖母はサウナが好きで、いつもサウナにいた。時間を持て余したわたしは、川を眺めながら、いろんなことを考えた。

あまりうまくいっていない学校生活のこと、好きなマンガのこと、最近見た夢のその続き。普段は言葉にしないことで頭のなかをいっぱいにした。たまに祖母が浴槽にくると、嬉しくなって、たくさん話をした。


あの温泉は、いまはもうない。あの温泉に浸かって川を眺めることは、もうできない。久しぶりに地元に帰ると、いろんな噂だけを残して、消えてしまっていた。


なんともいえない悲しさがあった。あの温泉に思い出のある人は、わたしだけではないと思う。だれかにとっては、日々の欠かせない居場所だったのだろうし。

では、どうすればよかったのだろう、とわたしは温泉に浸かりながら考えている。いま浸かっているこの温泉も、いつか消えてなくなってしまうのだろうか。ここにある思い出は、どこに行ってしまうのだろうか。


経営に関係のないひとりの客であるわたしにできること、それは、温泉を愛することしかない、と思うのだ。

温泉を愛するとは、気持ちのことでもあり、お金を使うということでもあり、きちんと利用することでもある。

はじめての人も、常連も、大人も、子どもも、みんな。だれもが気持ちよく過ごせるように利用することにあるのだと思う。

浸かる前はしっかりと体を流す、大きな声で話をしない、常連ムーブでほかの人を威嚇しない。その温泉のルールに従う。

あたりまえのようで、意識しないと忘れてしまいそうなことを気を付ける。次の人が気持ちよく使って、その次の人にも伝わると嬉しい。そうしてだれかが温泉を好きになって、温泉に通うようになると、嬉しい。その温泉が、だれかにとっての思い出の場所になると、とても嬉しい。


わたしの思い出の温泉はもうなくて、違う温泉に浸かりながら考えるしかないけれど、だれかにとっての思い出に浸かれるこの温泉が、ずっと残ればいいなあ、と願っている。



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