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被爆者の祖母の話

8月というと、どうしても戦争の話題になる。

私の祖母は長崎出身。現在は熊本で暮らしている。
今日は、そんな私の祖母の話を。

長崎出身の祖母は、小学生の時に被爆した。

あまり詳しく祖母から話を聞いた事はないのだが、原爆が落ちて光で目の前が真っ白になった瞬間の事、死体が積み上げられている川を見た事、兄弟を連れて走って逃げたことなどの話を少しだけ聞いた事がある。

この時期になると特に、厳しい状況をなんとか乗り越えて祖母が奇跡的に生き残ってくれた事、超マイペースな祖父と結婚して仕事を支え、父を産んでくれた事、孫の私に残せるだけのものをたくさん残そうとしてくれていること、すべてに改めて感謝の気持ちでいっぱいになる。

私は祖母のDNAから多くの事を受け継いでいると思う。私の天然パーマは祖母譲り。「私のおじいちゃんは外国人だったのよ。あなたは外国人の血を引いているの」と言っていたが本当なのだろうか。確かに祖母の家系は長崎で、私の叔父はヨーロッパ人のような見た目なのだが。祖母方の親戚には英語の先生や通訳もいて、私も英語を話すのでもしかしたら本当かもしれない。好奇心が旺盛なところも似ている。

祖母は、あっけらかんと明るく天真爛漫、あたまが柔らかくて今の時代の考え方もきちんと受け入れられていて、とても賢い。腹の中に黒いところなど全くなく、あまりにも真っ白すぎるので、思いついたことは言っちゃうタイプ。

だからこそ、何かと他人に対して「自分のような変わり者を受け入れてくれるだろうか」と警戒心が強かった私は、祖母が褒めてくれる時はお世辞じゃなくて心から思ってくれていることなんだと分かったから信頼できる。祖母は褒める時も、ごくごく自然に、本当に思いついた時にまっすぐ褒めてくれる。

約10年前に祖父が亡くなってから、祖母は「さみしい、さみしい」「もう帰っちゃうの、またすぐ来てよ」と言うようになった。私達が車で自分たちの家へ帰る時、昔は「バイバイ」だけ言ったらすぐに家に引っ込んでいたのに、最近は車が見えなくなるまで玄関から見送るようになった。

そんな祖母にもうすぐ会いに行く。
祖父のお墓参りもする。
私が生きているのは彼らが必死に生きてくれたからだということを忘れてはならない。
元気な姿を見せて、ごくごく自然に「みんなで食べるご飯が一番美味しい!」と笑う祖母の言葉を聞きに行こう。



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